一つの記事を完成させてからUPするという基本方針を変えます。
時間がまとめて取れない時でも少しずつ書き足せる方が長期的にみて継続できると考えました。
とりあえず、今後は最後まで読んでも結論に達してないよって場合が多くなる。
後日追記する方向で、進めて行くので、更新されていないようでも、チェックした記事の末文はもう一度チェックしてねっ(又は気長に時々チェックしてねっ)て話です。
それでは、始まるよー!!大した話じゃない話が…
最近何となく思ってたことを書こう。と思ったらこれそのままだった。
...
【何かと対極的に考えてしまう事の危うさについてと、
欧米人と日本人の頭の中身の決定的な違い】
古来より日本人は何か考えるときに、肯定的思考法を使うんだよねって話。
例えば貴方の好きな食べ物は何ですか?
という問いかけが好まれる。
まぁ、良くあるアンケートとか、初デートのつかみトークとか。
見受けますね。
それと、人に対する問いかけは
「本当ですか?」
が一般的かと。
小さい頃何故だか
「うそ~?」
と聞く事が多かったらしく、
「何で人を疑うの?善くないぞ!」
と、よく怒られた自分は、ひねたガキだったのね。
同じように自分に情報を取り込む時の手順として、例えば人から聞いた話を記憶する時、それなりにチェックをする機能があります。
自分の過去の情報から、それに見合うものと照らし合わせる。
脳科学の分野かな?
専門知識ではないのでご愛嬌として、恐らく「海馬」という所に引っかかている間に行われるはずです(本筋に対してどうでもいい事なので詳しくはWikiあたりで調べてね)。
この時に行われるのも肯定的な確認です。
「これは合ってるな、うん。次にこれも合ってるよな、OK」
という様な確認の仕方で検査します。
実際にはほぼ無意識下で行われるので、
「う~ん何となくそうね。」
程度の事ですが、その時に
「え?この前聞いたのと違うよ。」
と、検査で不合格があると、意識として顕在化します。
そんで、再検査。
でも一度審査を通過した記憶は検証が困難、まぁぶっちゃけ面倒なんですね。
外部の情報がよほど分かり易く説明されたものでなければ、それは多くの場合拒否してしまうか留保になります。
ま、分かり易い説明が付いている情報以外、受付を通過し難い頑固な検査機関という所でしょうか。
この場合は検査機関の判断基準は過去のデータベースなので、安心感がある反面、新しく難解な情報は、中々受け入れてくれないという古臭い検査体制。
許認可が遅い割に検査が甘い。
なんだか日本そのものみたいで面白いw
これに対して欧米人の思考は批判的思考法です。
「クルティカル・シンキング」とか言うんですが。
情報に対しても批判的確認からでしょう。
「これは合ってるの?え~大丈夫かね?え?成程そういう事なら解らなくも無いな。」
やな感じ、いきなり疑って掛かる刑事さんみたいですね。
アメリカなんかは特に、個人主義的だから保身という点で合理的なのかも。
いきなり疑う訳だから、同じ様に過去の記憶に照らし合わせるとしても、新しい情報を否定する情報を照らして行きます。
ただ、ここで面白い事に過去の情報であっても批判的に取り入れているので、ま~だ疑うんですね。
一応取り入れたけど、「あくまで“絶対”ではないよ!」というタグをつけて保存している。
という事は、検査に対して信用できるものは基本皆無、何も無いという事になります。
あー!面倒くさい奴らだ!何も考えず信じちゃえばいいじゃんねー。
実際に、これは学問の進化にも表れていて論文を少し前から順番に読むと、完成したと思われていた学説を批判的に論じた形で次の学説が生まれているのが分かります。
哲学なんて正にそうなんですが、ただでさえ面倒なことを、更に面倒にしそうなので…う~ん、そうだな、例えば天体の動き、夜空を見上げてみる。
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何も知らない僕らであれば、普通に星が動いているとしか考えないし疑わないでしょ。
疑うの?貴方は科学者の素質が高い。
だって、見たまま話せばね、そりゃあ疑う必要もないほど星が動いてるんだから。
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ところが、欧米人は昔から疑り深かったんですね。
最初に“地球が動いてる”なんて「トンでも説」を言い出したのは、確かコペルニクスでいいのかな(リンク貼るんで適当に調べてね)
そこからが大変。
まぁ、みんな自分の目でみて星が動いてる事を確認出来るわけだから、
「こいつ、何言ってんの?頭大丈夫か?」
と、言われたかどうか。
とにかく、当初は中々信じて貰えない。
本当に疑り深いやな奴ですね。
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動いてるだって(笑)?→動いて無いじゃん!→否動いてるって!→何言ってんだ動いてないだろうが!だったら証明してみろよ!→ …
なんてやり取りを繰り返しても、「だって見た目は星が動いてるんだから」という意見は、やっぱり根強い(この間も惑星の動きなど研究は続いているし偉大な学者もいます)。
そこにとうとう確信した人が登場します。
ご存知、福山雅治…じゃなくてガリレオ・ガリレイさん。
この人の頭の中ってどうなってるんだか見当も付かない。
でも、欧米人は散々悩んだ挙句だからか、説明が上手いからではないという事だけは確かですが、その後は、さすがにそれだけ確認を重ねて疑ってきたので、天動説、
「いや、やっぱり星の方が動いてるのでは?」
というところには戻らなかった。
実に面白い…というか疑り深い。
句読点でいえばようやく「。」が打てたという所。
…建物に例えようかな。
家を建てるのであれば基礎のコンクリート(現代の場合)土台が出来たという事ですね。
次は「建て方」といって構造部分の柱とか梁とか屋根なんかのしっかり建物を支える部分を組み上げます(壁面で強度を保つパネル工法、聞き覚えが有りそうなのはツーバイフォー工法とかもある)。
一昔前でいうと大工の棟梁の出番です。
「よっ大将!りんごが落ちましたよ!!」
この人がご存知ニュートンさんです。
…ちょっと比喩が面白くなっちゃって、長くなりました。
ま、欧米人は疑ってかかるのが常識なんですね。
そんな性格疲れそうだし、「人は信じあうもの」って教えられた気がするなぁ。
んで、この場合は検査機関が複層構造になっていますね。
ゲートが数箇所ある飛行場みたいなもんでしょうか?
人間ドック?んー、タレントオーディションかな。
書類審査→地方オーディション→全国大会→最終審査→おめでとう!!
激戦で勝ち残った人はそれだけ信用され、大事に育てられますね。
入り口は広くても出口は狭い。
あちらの大学なんかはそうですよね。入学は易しくて卒業する方が厳しくなってます。
こうやって例えてみると、やっぱり実社会に反映されてるね。
で、どちらがいいの?って話になる。
まず、一つ気をつけたいのが「どちらか」しか選択肢が無いって考えちゃう事。
これ、恐らく欧米人も日本人も関係なくおちいり易い罠です。
どちらかしかないって?そんな事はないんです。えーと、色鉛筆でいいかな。
色鉛筆を開けてみると両端からキレイにグラデーション、少しずつ色が変化していきますね。クレヨン?まぁ、クレヨンでもいっか。
そうそう、実は〝Mr.children〟の大ファンなんですが、「GIFT」という曲の歌詞に
♫
白か黒で答えろ。という、難題を突きつけられ、
ぶち当たった壁の前で、僕らはまた迷っている。迷ってるけど…
白と黒のその間に、無限の色が広がってる、
君に似合う色探して、優しい名前を付けたなら、
ほら!一番きれいな色。今君に贈るよ
♬
…う~ん、本当に良い唄だな。
まぁ、そういうことです。世界中に暮す大勢の人が、たった2つの考え方に収まるわけがない。
その時その時で違う事もある。それでいいんです。ってミスチルの櫻井さんも唄ってます。
意味が違う?
そうかな、僕にはそう聞こえるんだけれど…ま、そういう事にしましょうよ。
まずこの唄を覚えて…この事を踏まえておきたい。かなり大事だよ。
その上で批判的思考法と肯定的思考法の良いところと、悪いところ、
ちょっとかっこつけてカタカナで言うと、「メリット」と「デメリット」を見てみよう。
批判的な考え方からやっちゃいます。
この場合のデメリットは人が信用し難い。まぁ、日本人的考え方なんですが。
・人と人が信頼を持てるまで徒労とも呼べる時間を要する
・新しいものに簡単に転化する事が難しい
・反証を繰り返すので同じ所を往復する様でもある
・その時点での非科学的な現象について説明しきれないので否定的になる
・ベースになる部分が違った時にひっくり返すのが困難である事
・合理さ故に人の精神的な部分を置いて行きがちである事
考えて行くと根が同じなので、他に発展し難いかな。他に思い当たったら教えて下さい。
翻ってメリット面として
・意思決定が非常に合理的である事
・現実に転化するとかなり効率的である事
・裏付けが確たるものでもあるので、ロジックとして積み上げ易く、説明がし易い
・それ故にズイズイと物事が進む事
等があるといえる。これも思いついた部分でしかないので、指摘が有れば頂きたい処です。
なるへそ、“欧米か!”という形が満載ですねー!
※…っとこの「欧米」って括りも実は上手くないと言えるんですが、脱線しちゃうかな?元々「欧」に反旗を翻した(主にイギリス)のが「米」な訳ですから、見ようによっては対極的なんですよっ、と付け加えておきます※
では、我が日本の肯定思考について、 肯定的に考えるデメリット。
まぁ、簡素化すると上記の反対なんですけどね。
・意思決定が合理的に為され難い事
・効率的では無い事が継続してしまう事
・裏付けが曖昧な事が許されるので印象論や都市伝説ももてはやされたりする事
・それ故にバイアスが掛かっている物事を放置してしまう事
そのまんま反証しただけですが、当たってるかと。
そして、個人的には好きな部分でもあるんですが、メリットですね。
・確たるものが無くても、人同士がわりあいと気楽に信じあえたりする事
・新しいものを取り入れるのに余計なプロセスが無い分スムーズでもあり、且つ古い物をでも尊重できるところ
・非合理的な事でも否定しきらない曖昧さ(メリットか?)
・なので割りと過去の説の誤りを受入れ易くもある(のかな?)
・合理性重視でないので、精神的な部分、心なんていう物を重んじていたりする
といったところですかね。(同じく指摘が欲しい)決して悪くないと思います。
ただね、一番肝要な部分というかこの記事で言いたかった主旨の部分ですが、この2人(欧米人と日本人)がやり取りする上で合理さに人情論が勝てないんですね。
この点で、本質的に日本人は不利であると言えます。
本来の日本人は物事をそれほど疑わない。
無言の信頼とか信用って美徳です。
江戸時代なんて、庶民の家には鍵が無かったらしいです。
鍵が掛けられていたのは、せいぜい悪代官と癒着した悪徳業者の蔵だけですかね。
お人好しとも、理想的ともいえる日本人、よそに外敵が居なければ良かったかもしれません。
グローバリゼーションなんて、鎖国と真逆ですから、学習しなければならないでしょう。
しかも、日本も世界も間違いなく変わる、必然的に。
いや、ホント、今世紀中の近未来の話ですよ!
まず、「批判 」についてですが、日本人は基本的に嫌うでしょう?
自分を「反証」されるのに慣れてない、曖昧さのデメリットですね。
自分を疑われる事自体、不機嫌になる要素ですから、議論というより罵り合いに陥ってしまったりします。
討論の上手い人を見ると相手の感情を逆撫でる事も技術の一つだったりします。わざと相手を怒らせて、議論のテーブルに着かせたり、感情から出てくる言葉を拾って論理破綻を指摘して論破してみせる。そんな高等技術があったりします。これじゃあ見事に勝ち目が有りませんね。
実際にツイッター等でも見られますよ、その一端と言えるのは某有名市長さんのツイートです。言はハチャメチャ(なので支持出来ないんですけど)でも手法は中々w
冷静に読むと興味深い。
そんでこれに陥る人の共通点として、特に日本では混同されるんですが、「批判(的指摘)」するという事と「批難」や「否定」される事って、根本的に違うんです。
まぁ、現実でも件の“マスメディア”でさえ「ろく」に出来ていないので、理解は難しいところでしょうけど、これを読まれた人はとりあえずでも、「別々」の事としましょうね。
その上で、「21世紀の日本人」にまず必要になりそうな事として、偉そうに(笑)箇条書きしておきますが、これについても、出来ればね、追加すべき項目や指摘が欲しいです。
・議論については相手の命題や文章や言のロジックの問題を批判的に反証して指摘する。
・人格攻撃ともいえる「個人への批難」や「人格否定」といった物は受け流すか放置。
・自分はその土俵に乗らない。(相手によってはその土俵へ誘うと高等テクニックといえますが、日本人向きかな?)
・「あいつ(以前に失敗した人など)が言う事は全部間違いだ!」とか最近では「(某)政治家が金に関して汚職していない訳が無い!」という決め付け論が展開されたりします。反証はされましたよね?こういう処も考え直した方がいいでしょう。
・まず、一歩目として大事であり、最も難しい事、「あしたのジョー」でいう処の“ジャブ”なんですが、自分を疑ってみるという事を有る程度繰り返しておく、つまり慣れておく必要があります。
これを制すると、とりあえず1段階は制するんですが、年齢が高くなるほど難しい事でもあるといえます。
鉄は熱い内に打ちましょうという話ですが、せめて、次世代を担うお子さんをお持ちの方々には“必ず認識しましょう”と言い切っておきます(色々と棚に上げます)。
という事で、この記事のまとめです
様々なメディアを介してニュースや情報が飛び交う昨今。
既存のマスメディアが正解なんて事はありません。(…っと通信大学の講師でさえ断言していますよ)
必要なスキルとして、日本人の僕達が苦手な
「欧米型の批判的思考方法」と「論理的な反証と積上げ型思考方法」
は方法論として取入れる事を強くお奨めします。
必ずしもそれが良いという事ではないですよ、と記事でも書いたつもりですが、この部分ではね!!
単純に、思考を経ないで何でも受け入れる事が、かなり危なっかしい時代なんですね。
クワバラ×2です。
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続きはどうかな?何か言い足りなかったり、訂正箇所が有ったりすれば、この記事は続くかもよ?
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