「世の中を変えてきたのは政治では無く文化だよ。」
と、先日「世界の北野」ことビートたけしさんが話していましたが、本当に歴史を作ってきた原動力は文化そのものです。
「拉致問題の呼びかけを「6カ国協議」の席ではなく、映画化して世界の何十カ国で公開した方がよほどなんらかの動きがあるだろう。」
とおっしゃってました。すごく納得できる意見でした。
歴史上重要な役割をしてきた文化は沢山あります。
例えば「紅茶」や「珈琲」は文化として世界中に浸透しました。
紅茶においては、良質のお茶葉が欲しかったイギリスが、中国にアヘンを密輸させたことを発端にした「アヘン戦争」なんて戦争まで起こったりしています。
ちょうど昨日W杯の予選で日本はオーストラリアと対戦しましたが、この「フットボール」も世界的に大きな文化として浸透しています。
挙げるとキリが無いほどフットボールと世界史は興味深く関わっていますが、ここに第2次世界大戦前と後のヨーロッパにおける悲しい歴史を一つ。
以下は西部謙司さんの著作「サッカー戦術クロニクル」からの抜粋(一部要約)です。
~~~西暦1939年1月23日~~~
オーストリアのウイーンのアパートで男女の自殺遺体が発見されました。
彼の名は「マティアス・シンデラー」
女性はシンデラーのガールフレンドで「カミラ・キャスタノラ」という方です。
シンデラーはフットボールのオーストリア代表で“紙男”の異名を持つセンターフォワードで、それから60年あまり経過した後に20世紀最高のオーストリア選手に選出されています。
得点力とゲームメイクに飛び抜けていて、敵の僅かな隙間をかいくぐっていくプレースタイルから“紙男”というニックネームがついたそうです。
第2時世界大戦以前、サッカーの強豪国の分布図は今と違っていて、オーストリアやハンガリーは強豪国でした。
シンデラーの居たオーストリア代表チームは「ヴンダーチーム」と呼ばれ、当時のヨーロッパを席巻していました。
1934年、現在のユーロ選手権やチャンピオンズリーグの原型といわれる「中央ヨーロッパ杯」(ミトロパ杯)で優勝し、事実上ヨーロッパ最強と謳われたそうです。
そして、1938年第3回W杯では見事に予選を通過します。
―――しかし事実上、オーストリア代表チーム「ヴンダーチーム」はそこで消滅。
ナチス・ドイツに国が併合されてしまったからです。
ナチス・ドイツは彼らを「ドイツ代表」として招集します。元々ドイツ代表は強かったのですが、「ヴンダーチーム」の精鋭を加えて最強チームをつくろうとしたのです。
シンデラーはこの招集に応じませんでした。体調不良や高齢を理由に辞退を繰り返します。
そして彼には非難の目が向けられます。
彼はユダヤの血を引いていて、当時のチームメイトがドイツ代表としてプレーするのを見て失望していたそうです。
そんなシンデラーは一度だけナチス・ドイツの要請に答えて1938年4月(死の10ヶ月前)にプレーしました。
「統一ドイツ代表vs旧オーストリア代表」
という試合で、ドイツ代表ではなく旧オーストリア代表の一員としてです。
「統一ドイツを勝たせるように」
とういうナチスの指示を無視して1ゴールを決め、旧オーストリア代表を2-0の勝利に導いたのです。
しかし最後までドイツ代表のユニフォームに袖を通す事無く、35歳で恋人と2人自らの命を絶ちます。
~~~当時は事故死と伝えられたそうですが、友人の話などから自殺と推定、謀殺説もあるそうです~~~
以上上記著書より。
―――こんな悲しい出来事にフットボールの歴史と世界が深く関わっている事を考えさせられたりします。
戦争がもたらした悲劇の一つです。
北野武監督、この話映画化してくれないかな。
それでわまた^^ 三
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