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2009年3月の記事

2009年3月29日 (日)

明と暗分かれる日本代表。

WBC熱がようやくクールダウンしてきましたが、昨日フットボール日本代表がホームにバーレーンを迎えて最終予選を行いました。

WBCの視聴率は皆さん仕事中の時間帯にも関わらず37%以上だとか

スポーツの生中継というのは性質上録画して後で見ようという人が少ないはずです。

放送中街を見るとかなりの人が立ち止まって携帯に見入ってました。

仮にワンセグでも視聴率のリサーチが出来ていれば、あのジョホールバルでW杯初出場を決めたサッカー日本代表の試合の視聴率(確か50%超え)を上回ったかもしれません

一方、昨日のバーレーン戦の視聴率はまだ発表されていませんが、15%前後でしょうか。

アジア地区A組という世界中でも最もぬるい最終予選のグループにいる日本は、なんのドラマもなく、すんなり(ほぼ)最終予選突破を決めてしまいましたが、将来的にみて日本にとってはあまり好ましくないのかもしれません。

これが12年前であれば、号外が出るほどの快挙ですが、すでに見ている側の求めるものが1ランク上にあって、JFA側との温度差をどうしても感じてしまいます。

WBCとFIFAワールドカップでは大会の規模からしてまったくの別物(W杯の参加国は204カ国視聴人数では五輪をも遥かに凌いでいます。一方のWBCは参加16カ国規模にしても1/10に満たない)ですが、それでもWBCの決勝で盛り上がる日本を見て、ワールドカップにおけるブラジルの国民の気持ちが少し分かった気がします

かつて、アメリカの足元にも及ばなかった日本が2連覇したのは、日本の野球という「工夫」の賜物です。

「コンパクトで精密な野球」とでも言いましょうか。

これは、かつて、スーパープレーヤーが率いる南米のブラジル、アルゼンチンに対抗してヨーロッパ勢が確立してきた「モダンフットボール」「トータルフットボール」に通じるものです。

アメリカ(大陸)のパワー野球に対して、自分達の野球を信じてやってきた日本の確立した「モダンベースボール」「トータルベースボール」です。

よく日本のサッカーを評して「フィジカルが弱い」と言われますが、この「モダンベースボール」に学ぶ事は多分にあるはずです。

簡単な事ではないですが、昨日の試合を見る限り(というか最終予選全般)では岡田監督なりの「工夫」は限界では?と感じてしまいます。

世界一のスポーツですから、当然ヨーロッパのフットボールは日々進化しています。

その加速感から後退感すら感じてしまいます。

ユーロ選手権を観戦して帰ってきた岡田監督は優勝国スペインの「形」をまねているように伺えますが、統制されていない(ツー)ラインコントロール、選手間の連携、決まり事、プレスの緩急などみても本質は別物です(偉そうですが)。

ベースボール代表は素晴らしい躍進ですが、今のフットボール代表はまるで、高速道路を走る車を一般道で追いかけているように思えます。

諸事情はあるのでしょうが、私の生きている間に観られるW杯はあと十数回でしょう。

願わくば生きている間に日本蹴球の躍進も見たいものです。

           それでわまた  三run

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2009年3月27日 (金)

「ミサイルに気をつけろ」と言われても。

河村建夫官房長官は27日午前の記者会見で、北朝鮮が来月4-8日に長距離弾道ミサイルとみられる「人工衛星」発射を予告していることに関し、「北朝鮮から飛翔(ひしょう)体が発射された場合、政府は速やかに必要な情報をお伝えする。テレビ、ラジオ等の情報に注意してほしい」と呼び掛けた。
 河村長官は、北朝鮮の「衛星」について「通常はわが国領域内に落下することはない」と指摘。「国民は平常通りの生活、業務を続けてほしい」と語り、冷静に対応するよう促した。

ミサイルが発射されてから着弾するまでの間に数分しか無いはずですが、ラジオ等で

「国内に落ちる可能性があります」

なんて聞いた時、どうすればいいのか?

万が一私の頭の上に落ちてきた場合、注意してれば何とかなるんですかね

最悪の事態のスケープコートの発表にしか取れません。

「政府としては注意を促しました、最善を尽くしました。」

みたいな。まぁ政府としても打ち落とせなかった場合どうにも対処しようが無いのでしょうが。

以前、国外退去勧告がイラクで出たときに「人間の盾」として留まった日本人が拘束された時も同じ様な見解を聞いたことがあります。

この時はマスコミの扇動的な報道で、国民まで彼等を非難しました。勇気ある行動を勇気の無い人間達が非難したのです

日本政府が何とかしてくれると言う考えがあったのではなく、死の危険を感じて意志が折れたようには見受けられましたが、少なくとも戦場に行く勇気もない臆病者(私も含め)が非難する事ではないはず

政府にとって国民一人の命とはどれほどの重さなのでしょうか

国>国民

この構図は明らかなようです。

本題と逸れましたが、山道でよく見る交通標識に落石注意やその他の危険(こんなやつ→〈〉)

なんてのがありますが、そもそも“その他の危険”て・・・

「何?何?何が危険なんだー!!」

って言いたくなります。

「ミサイルに注意」

もこんなレベルです。具体的にどういう風に注意すればいいんだろ?

           それでわまた  三run

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2009年3月26日 (木)

初恋の人から手紙がきました。

 いけまん、元気にしてる?

今でもバタフライナイフを見せびらかしていますか?自慢のナイフを先生に取り上げられていたいけまんをなつかしく思います。

泣きじゃくる私にいけまんが「別れても連絡するから大丈夫だよ」と慰めつつパッタリ連絡が来なくなったあの日から、もう23年が経ったのですね。月日が流れるのは早いものです。

あ、そうそう、お手紙を書いたのには特に理由はないんです。ただ部屋の掃除をしていたらいけまんからの昔の手紙が出てきたから、なつかしくなって。びっくりさせてごめんなさい。

今考えると、私っていけまんに対してひどいことばかりしたなぁと思います(汗)。いけまんはいつも私のこと包んでいてくれたのに、私は臆病で心を開けなかったし、「いけまんはどうせ私のカラダ目当てじゃない!」なんて暴言を吐いていましたよね。それは事実としても、もっと他の言い方がなかったものかなぁと反省しています。

私にとっては8人目の彼氏でしたが、そういえばいけまんにとっては初恋の相手が私でしたよね。最初のころのいけまんはキスすら歯に当てる下手さでがっかりしたものですが、最終的には妙に自信をつけていましたね。勘違いとは恐ろしいものです。

いけまんは付き合った当初から思いやりに溢れていて、「一生おれについてきてもいいよ。女はおまえ一人でいいから」と言ってくれましたね。何様かと思いましたが、すごく嬉しくもありました。その後、結局何人にそのセリフを言ったんですか?それからのこと知りたいです。

総括するなら、いけまんと付き合えたことは、とても感謝しています。特にいけまんとの恋愛から学べた重要なことは、あまり人に期待しすぎてはいけないということでした。一人で生きられるようになることの大事さを教えてもらえたと思っています。ありがとう。

いろいろ書きましたが、私はいけまんが大好きでした。これからもいけまんらしさを大切に、あと盗聴器に興味を持つのをそろそろやめて(笑)、新しい誰かを幸せにしてあげてください。

またいつか会いましょう。では。

P.S. 将来マッチョになるって言ってましたよね?どうなりましたか?
 
 
このサイト流行っているみたいですね。面白い。。
やってみます?↓↓↓
           それでわまた  三run

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2009年3月24日 (火)

さあ、アメリカ(メジャー)は本気になってもらいましょう。

 いやー!よかった。ホントによかった。

WBC2連覇。

しかし一度9回に同点になってランナー出た場面で2アウトでのイチロー選手。

打った瞬間に鳥肌どころか涙出そうでした

彼は最早人間を超えた様に思います。もう生きる伝説ですね。

野球漫画から飛び出してきたような存在です。

北京での韓国の金メダル。

WBC決勝での日韓対決。

野球はアジアのものになったのか?

 実際はアメリカやドミニカは殆んどの主力選手がメジャーに属していて、この大会の注目度はアメリカではとても低いのが現状です

なんせ、アメリカの試合の視聴率が2%程度ですから、日本や韓国の熱狂振りからはおよそ考えられません

しかしながら、前回からの日本の連覇や、なんだか日本(韓)シリーズを見ているかのような韓国との連戦(いっそ日韓シリーズを何年かに一度やった方がいいかも)

そろそろアメリカに本気を出して貰いたいものです。そしてそこに勝ってこそ本当の一番になれる。

五輪のバスケのドリームチームのような布陣が次のWBCで観られる事を望みます。

もちろん勝つのは日本ですが。^^v

           それでわまた  三run

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たまには映画の話でも。

 映画好きな私ですが、最近は英会話の勉強がてら洋画を中心に見ています。

でも、最近のお奨めといえば、

「ジェネラルルージュの凱旋」(邦画bleah

です。

このシリーズ、ここ何年かの国内映画のスリラー(thriller:英語でミステリーやサスペンスの総称)では群を抜いておもろい。

前作の

「チームバチスタの栄光」

を観られた人は納得していただけると思います。

阿部寛さんはとても存在感のあるいい役者さんですね。

はまらない役を探す方が難しいかも。

小説はあまり読まない私ですが、原作者である海堂尊さんの作品にはとても興味をそそられます。

彼は医師でもあり、ミステリーという枠を超えた作品を描いています。

詰まるところスリラー(ミステリー)の出来不出来は作者(若しくは脚本家、監督)の知性の度合いによるところが大きいのかもしれません。

とにかく面白い。竹内結子は可愛いし^^

観てない方は「チームバチスタの栄光」も含めお勧めです。

まぁ、スリラー系が好きであればですが。。

What kind of movie do you like?(あなたはどんな映画が好きですか?)

           See you  三run

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2009年3月18日 (水)

人はいつか。

「人はいつか分かり合える」

アニメか何かで小さい頃に聞いたようなセリフですが、とても好きな言葉です。

誤解から離れ離れになってしまった人。

憎しみあい殺しあう人々。

心無い言葉を言ってしまった人、言われた人。

「人はいつか分かり合える」

理想論ですが、この言葉には「希望」があります。

ずっと先の事かも知れないけれど“人類”はいつか分かり合える。

そう信じなければ人類に未来は無いのかもしれない。そんな風に思います。

           それでわまた  三run

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2009年3月11日 (水)

日本という国は。

どういう国なのでしょう?

皆さんは、どういう国だと認識していますか?

私は日本人は(というか私が親しい日本人が)大好きですが、日本という国自体はそうではありません

それは、アメリカにも言えること

だから属国である日本が好きでないのかも。

何年か前に知り合った“ミンさん”というビルマ人がいます。歳は私と同じくらいで、コックさんをしている人なのですが、それと平行してビルマ開放運動の活動をしている人です。

私は彼と出会うまで、あまりに世間(世界)を知らな過ぎました

若い頃の彼は命がけで日本まで来たそうです。

現在の国名はミャンマーですが、これは今の軍事政権からなので、私はあえてビルマと呼ばせていただきます

世界の情勢に疎すぎる日本ではあまり知られていませんが、この国は本当に酷い。

彼が日本に来る前、クーデターによる軍事行動で彼の友達は殆んど(時には目の前で)殺されたそうです。(その時の状況を書きたいのですが、私の口から伝えるものではないので、あえて書きません。ただ、その話を聞いたときの私は声を出して泣いてしまいました。)

民主化運動のリーダーであるスーチーさんは今でも軟禁状態にあり、彼女を南京している現政権は2007年の大規模デモで武力弾圧によって多くの人を殺しています。

この時現地にいた日本人のジャーナリストである長井さんが巻き込まれてお亡くなりになった事件は記憶に新しいはずです。

軍事政権をいち早く容認した日本という国は、長井さんの事件の時一体どんな対応をしたのでしょう?身内(日本人)を殺されてそれでも何もしない(抗議くらいはしたようですが)国家をどう評価しますか?

北朝鮮もそうですが、事が対国家になるとどうしてとたんに薄情になるのか

日本という国は戦後どんどん情けない国になってしまったんだと思います

昨年大地震があったときに、人を人と思わない軍事政権はどんな対策をしたのでしょうか?

同じ空の下、現在でも虐げられている人達がいる事を、たとえ国が忘れていても忘れてはならない

何が出来るかわからないけれど、それだけは確かな事だと思います。

           それでわまた  三run

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2009年3月 9日 (月)

記憶術。

私は記憶力にあまり自信が無い方ですが、なぜか何年も前のある出来事を鮮明に覚えていたりする事があります

学校で教わるような事の大半は生活に直接関係があるもの以外忘れてしまう事の方が多いのですが、これは脳の海馬の働きによるものです。PCのメモリにもにているけれど。

日常で何度もくり返し使われる知識は海馬の網に引っ掛かりメモリに保存されていく仕組みらしいです。

楽しかった思い出は何度も思いだすので同じ様にメモリに残りますが、それ以外に何年も前の忘れかけていた記憶が懐かしい顔に会ったりして、鮮明に思い出せる瞬間って経験ありませんか

それっておそらく感受性の問題で、感情が揺さぶられた出来事はダイレクトにメモリに残る様に思うんです。

特に敏感な十代の記憶が多く、人を好きになった事、フラれて傷ついた事、恐怖した事、人との別れ、ビックリした事、映画や音楽の凄い作品等、聞かれればパッと思いだせます。

島田紳助さんが一度NSCの特別講義をした時、始めにNSCの受講生に対し、

「メモなんかとるな」

と言ったそうです。これは紳助さん流なのでしょう。

収録前に何を話すかまったく決めていないこの人の引き出しは、そういった感情が揺さぶられダイレクトに記憶されたモノが溢れている様に思います。

実際こんな事を言っています

「いい唄を聴いて理屈を言うのでなく、ただ涙を流せる奴は後で聞かれた時に頭で考えた奴とは比べモンにならない程その唄の話が出来る。そういう人間は成功する(大意)。」

私にはとても無理ですが、紳助さんはろくに本も読まず、映画も殆んど観ないそうです。

まったく凄いオヤジですね。

           それでわまた  三run

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2009年3月 6日 (金)

許されざるもの。

 私が犯罪においてどうしても許せ無いと思うものは、

  • 人殺し、及びそれに直接関わるもの
  • 女性への暴行、暴力
  • 子供への暴力など、弱い者への一方的暴力

です。

これらの犯罪において「時効」が適用されるのってホント変じゃないですか。

日本は(民主国家のデメリット部分でもありますが)役人や政財界に直接利害関係のあるものを除き、法律が審議され改正されるのにとても長い時間を要します

例えば喘息の吸入薬が認可されるまで10年以上を要しましたが、バイアグラが認可されるまでのスピードには目を見張るものがありました(利害関係というより政治に係わるおじさん達の要望です多分^^;)。

許しがたい犯罪への時効や恩赦、あるいは少年犯罪の適用には「?」と思わざるをえないです

遺族はどう受取ればいいのでしょうか。

犯罪被害者遺族会でそういう活動が始まったようですが、こういった法律こそ見直すべきだと強く思います。

そして、時効が成立したとしても罪は罪です。捕まらなければ良いわけでも、見つからなければいいわけでもありません

まったく。

           それでわまた  三run

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2009年3月 5日 (木)

何とも不思議なのですが。

 「中川大臣の酩酊会見(?)は日本の恥だ。」

などと声高々に取上げたメディアですが、この人決して一人酒だった訳ではないんです

酒席で一緒だったメンバーには、財務省の局長やら某大手新聞社の番記者の女性達(噂では美人だとか)もいました。

よくまぁ一言

「大臣控えた方が良いです。」

とか止める人がいなかったものですね。もっともそれが問題にされていますが。

メディアは中川さん一人矢面に立てて身内の恥は有耶無耶ですか・・・

らしいといえばらしいですが。

小泉内閣当時竹中大臣の補佐官を務めていた高橋洋一さんとう人物がいます

郵政民営化、道路公団民営化に携わり、貢献してきたかなりのキレ者だそうです。

この人は中川大臣の懐刀でもあったのですが、更迭によって今どういった立場にいるのでしょうか。

善良な国民には大きな損失で、苦々しく思っていた人達(誰とはいいませんが)にはしてやったりというところ。

だと考えると謀略ではないか?とすら思えてしまいますが。

確かにあの会見は酷い。でも、いつもマスメディアは何か問題をすり替えている(あるいはすり替えられている)ように思ってしまうのです。

「かんぽの宿問題(てか事件)」

は本来徹底的に追求するニュースで、郵政民営化による“かの”不動産の売買には小泉政権で民営化の旗を振ったオリックスの会長が絡んでいます。

ただの偶然かもしれませんが。

ただ、例えばホリエモンの時もそうだけど自民のみならず政財界の有力者に疑惑が上がると世間を騒がす別のニュースが出てきたりするような・・・

うーん、下手なサスペンスより怖い話です。

           それでわまた  三run

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2009年3月 1日 (日)

大切な友人へ。

 ~この記事は日付より大分前から作成していたものです。書きたいこと沢山ありすぎてかなり長いです。~

 この記事がUPされる3月1日。オイラは去年亡くなった友人のお別れ会に行っている事と思います。

私は芸能人関係者(そもそも関係者って・・・)ではないので、一般のファンの方と一緒に並ぶ事になるとは思いますが、それでも参加したい思いでおります。

記事にするのか、自分の胸に留めるのか、迷いました。

私は彼女が有名になっても周りの人間には数名を除いて友人である事をあまり話しませんでした。

有名人によくある「いきなり友達が増えた」の部類と思われたくなかったし、信じてもらえるかも怪しいところでしたから。

そしてなによりこうなってしまった今、私にとって大切な、とても大切な思い出なので。

けど、ブログを見ていただいている人の数もそれほど多くなく、良心的な方ばかりだという事、また、今となっては彼女の事を少しでも知ってもらいたいので、記憶の範疇で書かせていただきます。

もし想定外の事があった場合は削除させていただく事をご容赦下さい。

ここに嘘偽りは一つもありません。

 ―――彼女と出逢ったキッカケは、遡ること1989年。今から20年前です。

私は日本で一番有名だったディスコ(古臭いですが)“M”の系列店で当時日本で一番の集客をしていた青山にある“K”という店のウエイターとして働いていました。

 元々川崎で暴走族を辞めたばかりで、色々地元にうんざりしていた私は、華やかな世界に憧れていて(バブリーな頃でしたし)友人のお兄さんの影響もあり、当時で言う「黒服」になろうと応募します。

しかし、青山という場所柄に、ただのヤンキーだった私はかなり気後れしていました。

パっと見はチャラチャラした仕事ですが、ガテン系の仕事ばかりしてきた私でも上位に入る程ハードな仕事でした。

アルバイトには、イケている大学生も多く、暴走族あがりには似つかわしくない仕事です。

店に来るお客さんも洗練されていて、私は場違い感で一杯でした。

下仕事期間を3ヵ月ほど経て、ようやくホールの仕事をさせてもらったのですが、ハッキリ言って当時19歳だったオイラはそんなお客さんと何を話していいかわからず、よく上司にうなりとばされていました。

そんな頃、はじめて楽しく話せるようになったのが、すでに常連だった彼女です。

当時の彼女は六本木のクラブで働いていて、名乗っていた名前は、苗字は本名で、名前は芸名と同じでした。(ちなみにその時奴は17歳だったのですが、私と同じ歳だと言っていました。子供に見られたくなかったのと、飲食店という場所に配慮してです。後に嘘を付いていたと自分でカミングアウトしましたが。)

常連客は大抵、店のマネージャーなどとも仲がよく、本来新米ウエイターは気軽に話す事も難しかったのですが、彼女はとても気さくで、特に私は同じヤンキーの匂いを感じていましたので、すぐに友達感覚で話す事ができました。

 彼女のおかげで接客に自信を持てる様になったのを覚えています。

 妙に気があったのか、歳が一番近かったから、そのうちすっかり友達になって、店以外でも、彼女を含め私が一番仲がよかった店の先輩(彼は著書にも登場しています)や彼女の友達など数名でよく遊んでいました。

 やがて、私は彼女がよく遊んでいた友達の女の子と親密になり、彼女は2人をよくサポートしてくれました。

店にも大分慣れた頃、営業が終わった後に店のスタッフとお客さんが系列店で私の誕生日会を開いてくれたのですが、

「いけちゃん、〇〇ホテル取っておいたから飲み会終わったら〇〇と2人で行きなよ。」

と、2人の為に当時渋谷で最高級といわれたホテルの部屋をプレゼント(因みに一泊推定7~8万円)してくれたりして、本当に損得抜きで友人思いでした。

だからこそ、その反面、自分勝手な周囲に傷ついてもいたとも思います。

 

―――このブログの一番最初に書いていますが、2年程この店で働き、すっかり中堅になった頃、アホなオイラはドラッグに手をだします。(彼女の名誉の為に言いますが、彼女とはまったく無関係です。)

 やがて警察から逮捕状が出て、親にあわせる顔も無く、家にも帰れなくなり、店や同僚の家を泊まり歩いていました。

しかし、そんな事をしていても逮捕状が取り消されるわけでもないので何も解決はしません。

店にも迷惑をかけると思い、辞める事を告げ、やがて泊まるあてもなくなりかけて自暴自棄になっていた時に、店を辞めた事を知った彼女から電話がありました。

「事情はよくわかんないけど、行くところ無いならうちにおいでよ。」

だって。

まがりなりにも男と女ですし、言えますかそんなこと?

これ以上彼女や周りの人に迷惑はかけられないと最終的に自首するのですが、その直前の3日程、池尻にあった彼女のマンションに居させてもらいました。

その間誓ってやましい事(男女の)はありませんでしたが、私も元々居場所もわからずグレていたので話しやすかったのか、お互い沢山話をしました。

親が嫌になって(中学生の頃の話です)家の金庫のお金を持って家出した事、その後あったいろいろな事・・・

彼女の著書に書いてある多くの部分は直接彼女の口から聞いていたことがあります。(それでも結構本には綺麗に書いていますが^^;)

拘置所から出てきた時、家の留守電に彼女からメッセージが入っていました。

「いけちゃん、ごめんね。何もできなくて・・・」

その時に言えなかった言葉。今思えば心残りです。

「いやいや、俺は充分助けてもらったよ。」

 

―――3~4年前、一番最後に会った時も、とっくに人気タレントの彼女は気さくに

「いけだー!、久しぶりー!!」

と、当時の奴のままでした。ただ忙しすぎて疲れているようでもありましたが。

「(ベストセラーになった本に)俺のことも書いてくれよー。」

「いやいや、(私が逮捕された事等)おおっぴらに書けないでしょ。」

なんて会話をしたのを覚えています。

 

―――本当は、まだまだここに書ききれない程沢山の思い出があります。絶対忘れません。

生まれ変わりなど信じない私ですが、きっとどこかでまた・・・

ホントにホントに、本当に

「ありがとう。」

                     2009年3月1日     池田 賢

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