カテゴリー「物の見方、考え方。」の23件の記事

2009年4月 8日 (水)

サッカーも政治。リーダーが大事。。

こんにちは。サッカーの話です。興味の無い方はすみません。

何かとJFAに批判的な記事を書いていますが、先日スポーツ誌の「Number」に2大巨頭の対談記事が載っていました。

日本サッカー協会の会長である犬飼会長とJリーグのチェアマンである鬼武さんの対談です。

Jリーグの開催時期の移行やナビスコ杯のU-23限定等の発言で何かと対決が取りざたされていたので、意外な対談でした。

その中にどうしても気になる会話がありました。以下抜粋。

犬飼会長「U-19は育成のプログラム。勝たなきゃいけない大会は、五輪とW杯以外はないと思っています。」

(昨年U-19日本代表は予選落ちしてU-20W杯の出場を逃しています。)

インタビュアー「個人的にはU-20W杯の出場を逃した事に危機感を抱きました。」

犬飼会長「出場した方がもちろんベターですよ。でも、僕はU-20以下の年代の監督全員に話しています。あなたがたの一番の使命は、上の代表でプレーできる選手を何人育てるかであって、出場した大会に勝つことではないと。協会の責任者として、はっきり伝えてます。」

この発言ってどういう真意がある(或いはまったく無い?)のでしょう?

勝たなくてもいい戦いの中、選手はどの様に成長していくのでしょうか?

勝つ事を目標に(まったくしていないとは言わないけれど)ギリギリの戦いの中で成長していくものだと、勝つことに責任を持って強いプレッシャーの中、いいプレーをする事で選手、ひいては指導者も成長していくものだと思うのですが・・・

過去に「黄金世代」と呼ばれた稲本、高原、中田などを成長させてきたこの国際舞台に出場できなかったという事は、ともかく痛手以外の何者でもないはずです。

若い頃から選手を型にはめ過ぎないという考えは解らなくもないけれど・・・

この発言は“日本のプレースタイル”というものが未だにブレている事を物語っているように思います。

「日本はこういう選手を育てて、こういうスタイルで戦うんだ」

という確固たるモノが無いから、

「なんとなくいい選手を育てろ。」

みたいな言い方しか出来ない様に思います。

日本サッカーのトップの発言ですよ

イタリアやスペインのサポーターの方がよほど理に適った事を言いそうなものですが

犬飼会長の珍発言は他にも、

「若い世代には“バックパス禁止令”を出す。」

なんていうものもありました。選手はプレーを繋ぐ可能性の約50%を失うわけです。尚且つ現代のプレスサッカーであれば、2人ないし3人で囲い込むところを1人で間に合ったりするので相手は随分助かる事でしょう。

世界のクラブチームや代表チームのサッカーでもバックパスからのランやサイドチェンジなど当たり前の様に行われていますが、一体何がしたいのかどうも理解に苦しみます。

日本フットボールは前途多難に思えます。私には日本の政治とサッカー協会がダブって見えるのですが・・・

           それでわまた  三run

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2009年3月18日 (水)

人はいつか。

「人はいつか分かり合える」

アニメか何かで小さい頃に聞いたようなセリフですが、とても好きな言葉です。

誤解から離れ離れになってしまった人。

憎しみあい殺しあう人々。

心無い言葉を言ってしまった人、言われた人。

「人はいつか分かり合える」

理想論ですが、この言葉には「希望」があります。

ずっと先の事かも知れないけれど“人類”はいつか分かり合える。

そう信じなければ人類に未来は無いのかもしれない。そんな風に思います。

           それでわまた  三run

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2009年3月 9日 (月)

記憶術。

私は記憶力にあまり自信が無い方ですが、なぜか何年も前のある出来事を鮮明に覚えていたりする事があります

学校で教わるような事の大半は生活に直接関係があるもの以外忘れてしまう事の方が多いのですが、これは脳の海馬の働きによるものです。PCのメモリにもにているけれど。

日常で何度もくり返し使われる知識は海馬の網に引っ掛かりメモリに保存されていく仕組みらしいです。

楽しかった思い出は何度も思いだすので同じ様にメモリに残りますが、それ以外に何年も前の忘れかけていた記憶が懐かしい顔に会ったりして、鮮明に思い出せる瞬間って経験ありませんか

それっておそらく感受性の問題で、感情が揺さぶられた出来事はダイレクトにメモリに残る様に思うんです。

特に敏感な十代の記憶が多く、人を好きになった事、フラれて傷ついた事、恐怖した事、人との別れ、ビックリした事、映画や音楽の凄い作品等、聞かれればパッと思いだせます。

島田紳助さんが一度NSCの特別講義をした時、始めにNSCの受講生に対し、

「メモなんかとるな」

と言ったそうです。これは紳助さん流なのでしょう。

収録前に何を話すかまったく決めていないこの人の引き出しは、そういった感情が揺さぶられダイレクトに記憶されたモノが溢れている様に思います。

実際こんな事を言っています

「いい唄を聴いて理屈を言うのでなく、ただ涙を流せる奴は後で聞かれた時に頭で考えた奴とは比べモンにならない程その唄の話が出来る。そういう人間は成功する(大意)。」

私にはとても無理ですが、紳助さんはろくに本も読まず、映画も殆んど観ないそうです。

まったく凄いオヤジですね。

           それでわまた  三run

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2009年2月25日 (水)

不安定なもの。

簡単に書きたいんだけど、チョイムズかもしれません<(__)>

「相対性理論」なんて難しくてオイラには難解なものですが、それでも「宇宙」に興味があるとプロフィールにも書いている事もあり、多少の書籍を読んだ事があります。

しかしオイラの学歴とIQ程度で理解(ましてや説明など)できる代物ではありません

ので、難しい話はおいといて、観念的な話を少し。

ここからはあくまで、私の個人的薄学な考えで、「相対性理論」との関連もとくに意識していませんのであしからず。

 上記の理論は完璧にバランスが取れた状態が崩れて「宇宙」ができたという話を含んでいますが、世の中はやはりバランスで成り立っていると思うのです。

  • 男と女
  • 右と左
  • 動と静
  • 善と悪
  • 生と死

あらゆる物事、或いは考え方にさえ対照的なものが存在する

これらは同時に発生し、互いにバランスをとっているって話なのですが、なんとなく感じてしまう事ありません?

ただし完璧にバランスをとってはいないんです

ある時点での出生と死亡の総数や、善と悪にしても(統計のとりようはありませんが)常にどちらかに揺らいでいるのではないか?という風に考えたりします。

シーソーの両側が地面に付かずにギーコギーコしている感じです。

少しだけ難しい話になりますが、「相対性理論」では、現宇宙では、物質と反物質の比率は1/1,000,000,000だけ物質の方が多い(でないと成り立たない)らしいです。(この場合は「揺らぎ」とは異なるかも・・・)

いくつかの力(4つだったかな)が完璧に調和をとった状態は「無」だそうです。

 

 で、本筋。

 これって、人生にも言えません?

 例えばオイラは、子供の頃から善行もすれば悪い事もしてきました。

その時々で自分が悪でもあり、善でもあったと言えます。

人間そのものも、またこういった「バランスの揺らぎ(崩れ?)」によって成り立っているのかもしれませんね。

前出のの比率を「善と悪」に当てはめるなら、10億分の1だけ多い物質が「善」であってほしいものです

難しい話に下手な説明ですいません。

           それでわまた^^  三run

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2009年2月11日 (水)

もったいない。

世界中どの国の言葉を探してもこの、

「もったいない」

という意味に該当する表現があるのは日本だけだそうです。

臓器提供意思表示カードというものがありますが、生きている間に死後の臓器提供を考えるのは中々できる事では無いのかも知れません

しかし、どうせ灰になるだけの遺体。私は「もったいない」と思います。

もちろん、遺族や友人や恋人の気持ちを思うと、大切な人の亡骸が部品の様に扱われるのはいたたまれません。

カードを携帯するにあたって、母に署名を求めましたが、

「考えさせて。」

と言われてしまいました。自分の体ではあるけれど、母に頂いたものでもあります

この事は本当は一人で決めてはいけない事なのかもしれませんが、もし、死んだ私の臓器で誰かかが助かるのならば、自分自身も少しだけ人生に意味を見出せるかもしれないし(死んでいますが^^;)、素晴らしい事だと思うのですが。

現在、アメリカにおいて心臓移植手術を受けて死の淵から社会復帰される人は年間約2000人だそうです。

これは心臓移植のみのデータですが、腎不全等で苦しんでいる方などを思うとその数(網膜等も含めた全ての臓器移植手術)は年間何万件にも上るでしょう。

心臓移植手術のみの数字ですと、アジアでは韓国や台湾でも年間100件ほどですが、日本はというと―――年間たったの5件程度だそうです。

国内で移植が困難な場合、日本人はお金があれば(あるいは募金を募って)海外に行って手術をうけます。

しかし、中国では国内の臓器移植をよその国の人に行う事を禁じたそうです。

これは中国の中だけでも臓器が足りず、外国人に分ける余裕など無いという切実な話なのです。

それでも、お金持ちの日本人であれば、裏ルートで手術してもらったりしているそうですが。(先日そういったニュースが新聞に出ていました)

日本の臓器移植にはまだ意識や法律(15歳以下の臓器提供は法律で禁止。つまり子供の助かる可能性は国内に無いに等しい。)、宗教観などの様々な問題があるのですが、せめて今自分にできる事は、親を説得して意思表示カードを持つ事です。

そのカードを携帯している人の割合はたった3%程度だそうですが、97%の誰かが健康になれる可能性を火葬場でただ燃やしてしまうのは、本当に

「もったいない」

少なくとも私はそう思います。

           それでわまた^^  三run

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2009年2月 7日 (土)

目に見えないもの。~2%~

大昔から、日本(仏教の概念らしいですが)には

“生まれ変わり(転生)”

を信じる向きがありますが、「幽霊」「転生」生きている人には(少なくとも私は)知る事もできない事です。

私自身は、これらの事もそうですが、“あらゆる宗教の言うところの神様”も含め98%信じていません

残りの2%は・・・

信仰を大事にする事自体は素晴らしい事だと思います。

でも、多くの宗教はお互いの神を祭り上げ、紛争を繰り返します。

人の弱さは都合よく救いを求めます。

それらが本物なのか?私はそういった存在が仮にあるとしてもまったくの別のものだと思っています。

そして、霊や転生は“死”に希望を持ちたい「生きている人間」が勝手に考えたものだと思っています。

人の人生は一度きりだから尊いのだと思います。

でもね、もし幽霊が存在するとしたら、そういったものが見えて話せるとしたら、それは怖いものなんかではない気がしませんか?

誰にでも、一人や二人会いたいけれど会えない人がいると思います。

亡くなったおばあちゃんやかけがえのない友人達、逢った事さえないおじいちゃんとも一度話してみたかった・・・

そんな事が出来るなら信じてみたい気もします。残りの1%はそんな気持ちです。

誰かを救いたいと思った人間が、自分が無力なのを知り、出来る事といえば結局ただ、祈るしかないのでしょう。それがもう1%です。

信じていないけど、信じたいのか!?なんだか文章変ですみません。

           それでわまた^^  三run

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2009年1月21日 (水)

夢が無くても。

こんばんは。

英会話だのボランティアカレッジだの建築士の学校だのと、欲張りすぎててんてこ舞いで、更新滞ってすみません<(__)>

アメリカに史上初めての黒人大統領が誕生しましたね。

最近、世界の情勢などについて書いていますので、すごく無責任ですケド、はっきりいってアメリカの大統領が変わろうが、ビッグ3が破綻しようが、総理大臣が漢字読めなかろうが、私達の生活にどれほど影響するのか、今一ピンときません。

それよりも、サザンの活動休止とか、M-1の優勝の行方とか、チャンピオンズリーグの試合(個人的意見です)の方が、よっぽど影響があったりして・・・

前に、モルジブ沖で大地震があったとき津波にさらわれ、何日も漂流して奇跡的に助かった少年が、記者に毎日何を思って生き延びられたんだ?と聞かれ、

「来週、ベッカムの試合があるんだ!それをどうしても観たかった。」

と答えていたのを見て、

「目標や夢などなくても人は充分生きていけるんだなー」

と思ってしまいました。

考えてみると、私も“お笑い”と“音楽”と“スポーツ”だけで人生は充分楽しいなぁ、と思います。

東南アジアあたりでは、「夢」というと本当に寝ている時にみるもので、

「君の夢は何?」

という質問には困惑してしまうそうです。

「それを言うなら昨日の夢だろ。」

って言われるらしいです。

日本とか欧米の先進諸国にみられる、

「夢や目標の無い人間はダメだ!」

なんていう考えは、時に人を追い詰めるのかもしれません。

「明日のフットボールの試合が見たい。」

「次もレッドカーペット面白いかな?」

「(好きなアーティストが)早く新しいアルバム出さないかなー。」

そんな事で充分、人は生きられるんですね。

不安定な情勢の国で悲しい想いをしている人達が描く平和も、そういった姿なのかもしれません。

悲観的な考えにとりつかれて自らの命を絶とうとする人は、楽しい事探しましょうよ。ね。。

            それでわまた^^  三run

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2009年1月 6日 (火)

答えは自分の中に。

「この3人は親友なのかなぁ?」

先日、長い付き合いの友人2人との酒の席で、片方の友人にふと聞かれたことがあります。

「・・・・」

私は答えませんでした。

正確には答えられなかったというのがあっているでしょう。

答えは私の中には無いからです。

最初の方から、このブログを読んでいただいていれば、なんとなく分かって頂けると思うんですが、その答えは質問してきた友人の中にしか無いのです。

彼が親友だと思えば親友。

思えなければただの友達、或いは知人。

私の方の答えは明確ですが、質問が

「俺の事親友だと思ってる?」

だったら答えたかも知れません。

若かりし頃の私が、長い葛藤の中見つけたものです。

              それでわまた^^  三run

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2009年1月 5日 (月)

天秤の両側に何を載せるか。

正月特番で、木村拓哉さんの「HERO」を一挙放送していました。

 そうそう、今年から「裁判員制度」が始ります。

私が危惧してしまうのは、TVニュースやワイドショー等で取上げられる事件の場合です。

事実と真実とは似て異なるものです。

裁判と少し離れてしまいますが、例えば、ガザでの武力衝突やイラク戦争。見る限り欧米側の感情で報道されています。

私の周りではイラク戦争について、

「あれはフセインが悪かったんでしょ?」

なんて、未だにに言う人もいます。

湾岸戦争で油まみれになった水鳥の映像が流されましたが、同じ人にあれがアメリカの爆撃のせいだと言ったらビックリするでしょう。

しかし、日本ではこういった“真実”恐ろしいほど知られていません。

毎日悲惨な殺人が起こる様な時代ですが、毎日(毎年では無いですよ!)50人から多い日では80人の自殺者が出ている事も同じ様にあまり知られていません。

そりゃそうですよ。TV局にとって一番大事なのは、「真実」ではなく「視聴率」なのですから。

特異性のある(推理小説や猟奇殺人のような)事件は視聴率を上げます。

もちろん、事実を放送しているのですが、真実とは別の次元の話です。

油まみれの水鳥の映像、あれは事実ですが、“誰がやったのか”という真実には触れません。

中には

「フセイン大統領がやけくそになって原油を撒いた」

等という何の根拠もない(或いはアメリカ側の情報を鵜呑みにした)報道もありました。

特異な事件が連日放送される中、毎日多くの人が自殺で亡くなっていきます。

死者の絶対数では、「自殺」という事件の方が圧倒的に多いのに・・・

事実の中から「視聴率」を稼げるものをチョイスしてドラマ仕立ての報道をするのが今のマスコミです。

戦争の悲惨さを訴えながら、死体や残虐な映像は

「視聴者からクレームがくる」

という理由でカットされます。子供の教育上良くないという抗議だそうですが、私から言わせていただければ、子供の教育の為、それらは見せた方がいいと思う。

戦争を実感して、人事(ひとごと)として捉えない為にも

TVで取上げられる事件の裁判員になった場合、マスコミのドラマ仕立てに演出された報道で先入観を持った人は、最初から偏った意識で裁判に臨むのではないかと、勝手に心配してしまいます。

「HERO」のキムタク演じる検事バリのバランス感覚を持つのは難しい事ですが、

もし、ご指名がかかった場合には気をつけたいものです。

              参考文献「戦場特派員」「世界の戦場でバカとさけぶ」橋田信介著

               それでわまた^^  三run

                      

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2009年1月 3日 (土)

幸せになる方法。

年明け早々に素敵なニュースが2つありましたhappy01

両方とも友人が結婚するというものです。

年末に悲しいニュースがあった分、余計に嬉しく思います。

 確か、トムソーヤの冒険だったと思うんだけど、

「自分を励ます一番の方法は誰かを励ます事だ」

ってセリフがあります。幸せ大作戦です。

同じように、優しくされたければ周りに優しく、

愛されたければ人を愛し、

幸せになりたければ人を幸せにしてあげる事。

それらを相手に期待するのではなく、まず自ら行う事。

「情けは人の為ならず」

という事ですね。

そんな風に思う近頃でした。

新潟より。

早起きし過ぎて暇―!!

                それでわまた^^  三run

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2009年1月 1日 (木)

日本人の認識力。

あけましておめでとうございます。

今年も宜しくお願いします。

昨年は、人生ってわからないもんだなー、とつくづく考えさせられる1年でした。

自分の価値感も年々変化していきますが、昨年は特にそういった出来事の多い年でした。

 今年の目標は、3年連続落ちている宅建の合格と、なにより、海外の子供達へのボランティアに参加することです。

 決定じゃないけれど、恐らくカンボジアに学校を造っている団体に参加するつもりでおります。

「世界には、人災や天災でろくに学校にも通えない子供達が沢山います。」

そんな話を聞いたことがあると思いますが、みんなどれくらいそれを肌で感じているのでしょう。

南アフリカでは、都市部を囲むように貧困村があるので、もっと切実に感じる事ができるんですが・・・

ひとつ、殆んどの日本人が間違った認識をしているのが、募金や寄付についてです。

先進国から送られるお金は、時にその国の経済を余計に混乱させます。

経済を少し勉強していればわかる事ですが、円やドル、或いはユーロ等のお金がタダで入ってくれば、その国の貨幣価値は下がっていきます。

貨幣価値が落ちる→インフレ→国が貧しくなる

日本は一時期「デフレスパイラル」に陥りましたが、これは逆に「インフレスパイラル」とでもいいましょうか。

それと、物資面の援助ですが、実質、海外から送られてくる物資の多くは、外貨を稼ぐ為に、その国に来る外人(ボランティア或いは軍人等)へ売られていきます。

そういった国に必要なのはなにより「独立した経済力」なのです。

もちろん経済援助として計画的な後押しは必要ですが、金持ち国が自分が気持ちよくなりたいだけで“恵んでやる”事は彼らにとって必ずしも良いことではありません。

国を豊かにする為にはまず教育(日本の学校好きではないけれど)が必要なのです。

その為の学校建設です。私とて本を読んだりして自分の知識を高めていなければ、こういったことすら知る事が出来なかったと思います。

勉強は学校でするものが全てではないけれども、まず基礎がなければ、例えば本もろくに読むことができないでしょう。

今年は、実際に海外に出て、ここにそういった体験記等が載せられればと思っております。

新年早々なので堅めに書いてみました。

                それでわまた^^  三run

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2008年7月26日 (土)

確率が必要な確率?[その2]

2時間程かけて書いた記事が、更新時のバグで全て消えましたcrying

ので、内容はかなり短縮してます。ココログのせいannoy

 考えてしまった人には申し訳ないのですが、この答えは「わからない」が正解です

cat「私は嘘つきです。」と言った、cat)が嘘つきならば、「私は嘘を言っている」というのは嘘なので、この人は正直なはずです

また、本当のことを言っているのであれば、この人(cat)は嘘つきですが、嘘つきが「私は嘘つき」といっているので、この人は正直となりますが、そうであれば「私は正直」と答えてなくてはおかしな事になります。

これは、どんな事にも当てはまるのですが、例えば火星人でも、または自分でも同じ事です。自分で、「オレは(私は)嘘つきだ」と言って見て下さい

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

・・・・・・

あなたは嘘つきですか?仮に嘘つきなら「私は正直者だ」と答えなければ矛盾が生じますが、「オレは(私は)嘘つきだ」と言った時点であなたは嘘つきになります。そしてうそつきならば「オレは(私は)嘘つき」が嘘なのだから矛盾が生じます

なんと!あなたは(私も)、自分の事なのに、自分が嘘つきなのか、正直なのかすらわからない、確かな自分すら無いのです。

かなりおおざっぱ(大意)ですが、「不完全性定理」の私の解釈です

宗教じみてしまいますが、この世は「完全」とか「完璧」では成り立たない(面白く無い)のです

 仮にあなたが「神様」なるものだったとして、全てがわかっていて、全てを手にしているとします

無制限な必要以上のお金dollar完璧に理想の恋人virgoや家庭house最高の名声人望crown完璧な健康hospital有り余る永遠の時間sandclock欲しいものは簡単に手に入り、未来も自分の理想通り思うがままになったとして

               楽しいすか

浅慮な人なら「うん」と答えそうですが、少なくとも私はそんなにつまらない事は無いと思うんです。恐らくそうなったら、全てを手にした時点で退屈になって、「死」を望みます

全てを手にする事は、何も持たない事(これも楽しくない)と同じなのです

baseball完璧な野球選手がいて、投げれば全打席三振をとり、打席は全打席ホームラン。これはこの後も100%決まっています。彼の試合は打順にもよりますが、必ず3点以上対0点のパーフェクトゲーム、常に打率は10割、防御率は0.00、あらゆる記録は試合に出る毎に更新されるだけです

       観ている人も選手も楽しいですか?

「確かなものなど無い」

から、楽しいんです

ギャンブル好きな人は「不完全性定理」中毒とも言えます

確か(中卒なもので)、「矛盾」の授業で同じ様な事を学びますよね

多かれ少なかれ時期年齢はともかく、人はこの事に“なんとなく”気が付くものです

 さて、本題なのですが、「確かなモノ」が無い世の中で、人は何を拠りどころにするのでしょう

                            それでまた^^  三run

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2008年7月25日 (金)

確率が必要な確率?[その1]

 難しい事はわかりませんが、この世の真実を突き詰めていくと、結局、

「確かなものなど一つもない」らしいです。

現在のチェコにあたる国のゲーデルという人の発見した、

「不完全性定理」

というそうですが、今回はちょっと問題です。

mobaq

ある人(?)に質問しました。

dog:「正直に答えてください。あなたは正直者ですか?」

cat:「私は嘘つきです。嘘“しか”言いません。」

dog:「では、あなたは嘘をついているのですね。」

cat:「はい。私は嘘つきですから嘘を言ってます。」

catは嘘つきですか?本当の事を言っている正直者ですか??

                           ではまた後日にdelicioussoon

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2008年7月 6日 (日)

人は自分の見たいものを見る。

 「バカボンド」の影響か、ここ数日部屋にある歴史本を何冊か読み返してましたbook

一般に日本で「三国志」といえば「三国演義」と誤解される事が多いですが、これには横山光輝先生のマンガ版「三国志」の影響があるように思います。(私自身この三国時代への興味をもったきっかけきっかけですしcoldsweats01。)

『三国志演義』movie

日本ではしばしば単に「三国志」と呼ばれるが、講談で語られてきた物語や正史三国志』(陳寿著)などの歴史書の逸話を綜合してつくられた小説作品で、『三国志』とは異なる作品である。本来『三国志』と呼ばれてきた陳寿の作品との混同を避けるため、日本の愛好家の間では「演義」と「正史」という呼び分けが行われることもある。    

               (1部省略)ウィキペディア   

pen小説(フィクション)は一人(若しくは少数の人)の頭の中にある物語ですが、clock歴史(ノンフィクション)はそれこそ、自分が生涯出会う人達よりも遥かに多くの人が関わり織り成す物語です。

時には、おおよそ同じ人間の所業か?と思うほど残酷で、またそれと同じように奇跡的で、感動的です。

 小説も決して嫌いではないのですが、大人になるにつれ、読んでいる内に現実から離れていく自分を感じたり、時にはその物語に逃げ込みたくなったりしている自分が居たりして、日常から離れる時間的ゆとりのある時以外は手をつけないようにしています。

事実は小説よりも奇なり。人の歩んできた(歩んでいる)道は複雑怪奇なもので、都合よく進みません。ただ、後世に史家や講談師によって脚色され、「三国志の劉備玄徳」のように“英雄”runが誕生する事が暫しあります。

小説「三国演舞」に劉備の敵役として登場する“曹操孟徳”という人物がいるのですが、この人の存在が、私が見方一つで中身はまったく違うものになると、考えるキッカケでした。

今でも企業家やリーダー論を説く著書に頻繁に引用されている「孫子」の兵法書というものがあるのですが、現代読まれているこれはほぼ、後漢(魏)の曹操が注釈をつけてまとめ上げたものだそうです。

また、この時代中国には「儒学bookが深く根付いていて、「儒」にそぐわない物は受け入れられない風潮でした。儒学自体は素晴らしい文学なのですが、言うなれば「クラッシック音楽」で、とても気高く、ともすればそれ以外の音楽に否定的ですらあります。

これに“異”を唱えたのも曹操です。「あらゆる文化はそれを追求するものによって自由闊達に広められるべき」だとして、当時ではとても考えられない事ですが、今で言えば「クラッシック」と同じ会場で、これらが人々に認知されてない頃に「ポップミュージック」「ヒップホップ」等を演じる事を推奨したようなものです。

中国の文化はこの頃(魏の建国)を起源としているのをみても、曹操という人が「三国演舞」に語られるようなただの「敵役(乱世の姦雄と言われている)」とは思えません。

また人材を愛し、広く登用した人物でもあります。後々曹操は劉備玄徳の建てた“蜀”を破り“魏”を建国しますが、そうした慧眼を持っていた人物ならば必然だったのでしょう。

「敵役」にキャスティングされた要因は、時々行う非道な戦いぶりではないかと思うのですが、この人を知れば知るほど日本で“英雄”視される人物と類似している点が見受けられます。

国を治める制度が崩壊し、世の中は荒れ放題。虐殺、簒奪が横行する。各地で多数の勢力が生まれ、天下統一を目指す中、至弱の勢力からはじまり、数々の強国を倒す。時には非道とさえ思われる行為も省みず(そもそも散々人を殺しておいて、非道でない戦争なんてあるんでしょうか?)、やがて天下に覇を成した人。

家柄、年齢、国籍にさえ囚われず、才能を重視する人材起用。従来の形に習いながら、柔軟な考えで新しい手法を取り入れる懐の深さ。覇業の為には、非道と言われるのも承知して、なおそれを行える人物。

「織田信長」「曹操孟徳」類似点が多いと思うのは私だけでしょうか?

“楽市楽座(関所を無くし、自由に商売をさせる。〈大意〉)”や鉄砲の導入、異国の文化をすんなり受け入れる度量。戦争や商業の発展の為に今でいう「国道」のようなしっかりした街道を作ったのも信長が始めたといわれます。今では当たり前のことでも、昔はかなり奇怪な事と思われたでしょうが、徹底した合理主義(個人的にここが特に好き)で、保守的な声を何とも思わない、こういう人物が世の中を変えていくんですね。

文化の違いでしょうが、信長は日本では“英雄”。比叡山を焼き討ちした信長についていけないと、反旗を翻した「明智光秀」は“裏切り者”(光秀が天下を取っていれば英雄になっていたかも知れませんが)同じ様に世を治めた曹操が“姦雄”で劉備は“英雄”。

この二人の差は、後にこれを伝える人が“どの角度から見ていたか”の違いでしかないのです。

そしてこの事から、“人は自分のみたいものをみてしまう”という過ちに陥り易いともいえます。

 多角的にものを捉えるのは、私のような凡人には難しい処ですが、ただ聞いた事を鵜呑みにせず、そこに合理的根拠があるのか、少なくとも“主観”と“客観”位は意識してみると人生がもっと豊かになる様に思います。

 世界で起きている事から身の回りの事まで、様々な事に際し、1辺からしか見れない様な視野の狭い人間(散々書いていますが、特にメディアに言いたい事です)にはなりたくないものですね。end

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2008年4月14日 (月)

人は環境を育て、環境は人を育てる。

 タイトルは、卒業した中学の正門側の石碑に刻まれている言葉です。私が中2の頃まで在籍していた校長が残したものだとか。

 中学生当時は、この言葉に何も感じ得ませんでしたが、この頃は、

「良い言葉だな」

と、よく思い出します。

 ここ何年か特にですが、仕事で関わる人達、或いは、古くからの友人等と話していて、話の次元があまりに違っていて、困惑する事があります。

以前はよくムキになって反論をしていましたが、最近は、特に意見をせずに、相手の話を聞くようにしています。

孔子の論語に、

「子遊曰く、君に事えて数々すればここに辱しめられ、朋友に数々すればここに疎んぜられる。」

という一節があります。

主君の為だと思い、誠心誠意尽くしていても、”度”を過ぎれば、うるさがられる。

また、友人の為と思い、あれこれ言っても、やはりうるさがられて敬遠されてしまう。

自分とあまりに価値観の違うものに対して、あれこれ議論をかさねても、ほとんど意味が無い、もっといえば、時間のムダである、という事です。(キツイ表現していますが、親しき中にも礼儀あり、という意味でもあります。)

“成功本”の中にも、同じ様な内容を良く見かけます。

「成功している人、ポジティブな人と付き合いなさい。」

「貴方の周りの“傍観者”である友人は貴方の足を引っぱろうとする。」

等、こういった本を読んで、随分不快な気分になったものです。

でも、同じ物を見ていない者に、説明している時間があるなら、自分にとって有意義な話をしてくれる人と話したり、セミナーに参加したり、本を読んでいる方が、よほど時間を有効に使えるのも、また事実です。

 そんなこんなで最近は、一部を除き、友人とお酒を酌み交わすとき、ほぼ馬鹿話に終始します。それで充分、それが一番良いと思います。

今は自宅兼事務所のため、”会社にいる”のと”家にいる”のは同じ事ですが、寝ておきる以外の殆んどの時間を、”仕事と勉強”に費やしています。

現場に行ったり、営業や諸手続で役所関係を回っている以外、家(会社)にいるので、

「ひきこもってる」とか「寝てばっかりでしょ?」

と、言われた事があります。

反論しようと試みましたが、

仕事と関係の無い人に、この膨大な仕事を、一から説明する事に何か意味があるのか?

と思いとどまり、

「いや、毎日ボケ~っとしてるよ。」

と言っておきました。なので、地元では、

「あいつは、毎日仕事もせず、家でボケッとしてるらしい。」

と思われていることでしょうcoldsweats01

 一方、建築士の学校に行っている時の友人達が、今度”会社設立祝賀会”をしてくれるそうですbeer

このメンバーの飲み会は、毎回楽しく、前向きな人達との会話は、私にとって物凄く有意義なものです。今からとてもたのしみにしています。

 人を取り巻く環境は、やはり”人”が育むものですね。

 今の私は、大抵の人が立ち止まり、やがて根を下ろしてしまう、“たまり”から、ようやく立上り、なんとか前に進もうと、もがいているに過ぎません。

その姿は、どっかり“たまり”に座り込んだまま、立上る事も諦めた人には、滑稽に写るかもしれません。ですが、そんな事に構っている時間はありません。

 私には目標、目的地が明確にあります。もちろん、努力すれば必ずたどり着けるとは限りませんが、成功した人(目標を達成した人)は、間違いなく、努力をしています。そして、今自分の出来る事も、それしかありません。

 出会ってきた、多くの友人は、今までも、これからも、私にとってかけがえのないものです。

でも、だからこそ、私は、時間を惜しんで、向上(或いは成長、行動、成功)しなければいけないと思うんです。

 自分にとって良い環境とは?・・・その硲で時々苦しくなる時があります。

成功して、社会に大きく貢献している方々も同じ様な葛藤を経験しているのかもしれません。

 私も流され易い人間ですが、ブログを見て下さっている方に、

“自分を突き動かす方法” について、少しだけ触れておきます。

 私が、敬愛する、「橘玲」さんの、著書の一つ、「お金持ちになれる黄金の羽の拾い方」には、様々な日本の諸事情や、経済、市場原理主義の矛盾等が書かれています。

でもsign01私が、この本に最も心を動かされた部分は、あとがきに限りなく近い、巻末部分の一節でした。

それは新宿の中央公園に住むホームレスを見に足を運ぶ、というくだりです。詳しく書くことは出来ませんが、

私の近所に、似た環境があったので、新宿には行かなくても、以前、同じ事をしている人に会った事がありました。

ひやかし?優越感?当時はそんな風に考えていたと思います。

そして最近は、時間があれば同じ事をしてみます。

ものの考え方は人それぞれですが、重い腰がなかなか上がらない人は一度読んでみる事をお勧めします。

                     では、また近い内に。soonshine 

  昨日、感情と酒にまかせてアップしてしまい、お恥ずかしい文だったので、多少修正しました<(_._)>           

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2008年3月26日 (水)

口先だけで生きる人 ~お笑い芸人という生き方~

 この世の中、少なくとも日本は、口先だけで生きていく事が、十分可能な様に思います。

人の本質は言動ではなく、行動だと、ガキの頃からの多くの体験で学びました。

しかしながら、そういった思いを持つ人は、軽々しく言葉を発しないので、ほとんどの場面で、口先人間の後手を踏みます。

 経験上、人の信頼は時間とともに行動で示す人間に移っていくもの、と思っていましたが、人の噂は噂を煽り、特にある程度の知名度のある人の場合、時として物凄い“誤解と偏見”にさらされていたりします。

「火の無いところに煙はたたない」

といいますが、そもそも、火を起こした原因が、“放火”(この場合、悪意的な第三者の拡げた噂)だったとしたら?

 戦国武将の豊臣秀吉さんは、この“放火”戦略の達人だったと聞きます。それを戦略として使う事自体を否定する話ではありません。古き中国の兵法に、

          “城を攻めるのは下策、心を攻めるは上策”

というものがあります。(詳しくは【三国演舞】若しくは【孫子の兵法】あたりを見てください。)

 ただ現代社会の場合、放火魔の動機の根っこは、“保身”や“妬み嫉み”等、汚い部分のように思えます。

これは、あちらこちらから火の手があがる(聞こえてくる)程有効になる戦術です。

 最近、出会った人物が、その噂とあまりにもかけ離れた人間で、日頃、自分の“目”を信じる事を意識していながら、自分もやはり“誤解と偏見”ごときに振り回される1人と恥ずかしく思いました。

 決して無口という訳ではないですが、自分の事について多くを語ろうとしない人は、そういった噂に対して弁明もしません。言葉と行動にきれいに“筋”が通っています。そして、誤解は誤解のままで良しとします。

 若輩者は久方ぶりに感銘を受けました。また、人生の中で数少ない、“人”に会えた事をとても幸せに思います。

 ―――その辺の話はまた後々という事にして、本題(タイトルなので)です。

 “口先”で生きるという職業、【お笑い芸人】はどうでしょうか?

この人達は、確かに“口先”で稼いでいます。でも、“口先だけ”では無いです。(少なくとも生き残っていく人達は)

 思うに、世の中の職業のなかでも、トップクラスに入る、過酷でシンドイ仕事だと思います。(本人達の意識はわかりませんが)

  • 自分のまわりにどんな事があっても仕事では“人を笑わせなきゃ”ならない
  • 家族、特に子供は注目され易い(いじめの的の場合もあるでしょうし)
  • キャラクターにもよるけど、下賎な一般人にからかわれ易い
  • 上下関係厳しいけど、基本「釜の飯」で、売れる売れないで、微妙な人間関係も・・
  • 会社にもよるかと思いますが、ほぼ保障が無い+ブームに乗せられて残れないと、顔が知られている分、一般社会でやって行き難い。(逆にうまく行く場合も?)
  • その他笑いのために、一般人ではありえないほど多くのモノを犠牲にしている

・・・と、挙げればきりが無いです。(もちろん、その分魅力的な職業でもあるのでしょうが)特にキツイのは、ミュージシャンや脚本家、作家等と違って、最高のネタを作っても、そこに“版権”(作曲、作詞や著作権、或いは特許等)が生れない事です。

 これについては、それこそ国が、文化として一定の基準を設けたり、なんらかの権利を考えられないのでしょうか?

少なくともお笑いは、一部の雑音まがいのくだらん音楽shockより遥かに人を幸せにしています。

 最近、昔の伸介竜介や、やすきよの漫才を、民放でよく流していますが、久々にみると、新鮮でまた笑えるもん。(時代背景もあるのでネタにもよりますが)

音楽なんて(音楽好きですよ念の為)、音と縁の無い、マンガに載ってもJASRAC(でしたっけ?)ウルサイんだから。

  まあ、国に期待するのは無駄なことかもしれないので、民間で、例えば音楽と同じ扱いとして、しっかり管理するとかね。(そしたらkaraokeカラオケで流したりして、皆ちょっと前の漫才とか真剣に覚えだしたりして^^)

 今後そういった動きが起こってほしいものですね。(すでにあるならごめんなさい)

                           んじゃまたーscissors

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2008年3月16日 (日)

多い勝ち。

 “民主主義”の世の中では多数決で、

問題を解決したり、決まり事を作ったりしますよね。

「○○がいいと思う人。」

「はい、手を下ろして。」

「では、●●の方がいいと思う人。」

と、何かを決めるのには、とても便利な発明(?)です。

規模が大きくなるほど、大勢の人の意見が、100%全員一致の意見になるなんて事は、まずありませんから、(それこそ怖いし)

たとえ自分が、反対意見に手を挙げていたとしても

「多数決だから従うしかないか。」

と、納得してしまいます。この便利な道具には“少数意見の否定”という、

危うい一面がある事を意識している人は、意外と少ないようです。

 例えば、dogワン君とcatニャー君とpigブー君3人で何かを決めるとき、ある程度話し合いがあったとしても、

dogワン君とpigブー君2人の意見がたまたま合えば、catニャー君の意見は「聞くまでも無い」事に、下手をすると「間違い」になってしまいます。

では、これがdogワン君とcatニャー君2人だったらどうでしょう?dogワン君がある程度良識のある人間なら、

catニャー君の意見を「聞くまでも無い。」とは、思わないはずです。

時には、dog「なるほど、そこまで考えてなかったワン。」と、catニャー君の意見を受け入れる事もあるかもしれません。

自分の事を否定するのは嫌なものですが、1対1だと、自分が絶対正しいと、確かめる方法も無いからです。

この、“確かめる方法”pigブー君です。

pigブー君がdogワン君を支持する根拠が、

  • dogワン君の方がかっこいいブー、もしくは面白いブー
  • この前のcatニャー君の意見は間違っていたから、今度も間違いだろうプー
  • dogワン君は友達が多いcapricornuscancerchickpenguinpiscesvirgoから仲良くしておきたいブブッ
  • dogワン君にbottleおごって貰ったブヒッ

など、意見の内容とはまったく関係なくてもpigブー君に支持されたdogワン君は“自分が正しい”と、勢いがつきます。

そして、利口なdogワン君は、意思決定(自分の意見を通す)で大事なのは、

pigブー君pigを味方につける事だワンflairと悟ります。

 pigブー君と同じ立場の人が、pigpig10人、pigpigpig100人、pigpigpigpigpig1000人・・・大勢になればなるだけ、この勢いは止まりません。

増えれば増えるほど、上に挙げた“内容と関係無い根拠”の比率も増えます。

そういった人は、群集心理で、自分には関係ない、とか、自分が責任を取るわけじゃない、と思うから、内容なんて気にしないのです。

本当は当事者そのものなのに、です。

そうなると、皆がいってるからなんとなく、とか、反対したら変な人と思われるとか、

孤立する恐怖だけで賛成する人も増えます。

結果、最初の議論とはまったく関係のない事で、意見が決定します。

決まった項目(或いは選んだ政治家のマニュフェストとか、賛成した法案)をみて。

「え?俺こんなの賛成してないよ!!」

と、内容にあまり関心が無かった人達が言ってもどうにもなりません。(選挙に投票に行かないのも同じ事です)

これがクラス、地域、国、グループ、なんらかの団体の様な、

決めたルールに従う組織だと、たとえ、dogワン君の意見が“短絡、利己的”で、将来痛手を負うことになっても、catニャー君の意見にいかなる合理的根拠があってもどうにも出来ません。

多数決では往往にしてこういった意思決定が起こります。そして困った事に、

“多数決で一度決まった事は中々覆らない”のです。

少数意見が正しいっていう事はありませんし、民主主義を批判するつもりもないですよ。

ただ、日本でも、世界でも、“変な意思決定、常識、ルール、法律”が沢山あります。

望む望まずに関係なく、そこで暮らしていれば従うのは当然の義務ですが、

もし、そのルールについて、合理的な根拠を自分で説明できず、

「従うのが当たり前と、教えられたから」程度なら、

一度常識から外れて自問自答してみると、価値観がかわるかもしれませんね。

  そして、オイラが魅力を感じる人は大抵、【常識を疑える】人です。(^^)scissors

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2008年3月12日 (水)

トレーニング。。

ハッキリと加速しながら変わっていくこの時代を、学の無いオイラみたいな人間が

 生き抜いていく為に・・・・・

 「建築士の試験を受けよう。」という軽はずみな(?)行動に至る前に、

 紙に書いて、目に付く場所に計画表みたいな物を貼ってました。半分位は、その後読んだ本等から、引用して何度も訂正してるので、初期の内容はもっと恥ずかしかったと思いますが(*^^*)

――――己を知る。(意外と自分の事ってわからないものですね。他の友人の一人になったつもりで、日頃の自分の悪口を色々言ってみたり。)

――――出来る事。取れそうな資格、なれそうな職業等、書き出すと、これがかなりしんどい。

野球、サッカー、スポーツ選手?ハリウッドスター?SMAP?宇宙飛行士?

・・・実は無理そう((可能性の少ない))な事は以外に少なかった。大抵は子供に期待して、宝くじに当たりたい大人達が、子供の夢はこうあるべきと、すりつける(悪気がなくても)虚像ですね。

 本当に、○○歳になった時、今の自分になりたかったのか?(なりたかったのなら、それでいいと思うけど)考えてみる。同じ様に○○歳にはこうなる!と書いてみる。

 今の自分にも出来る事(現実的)目標。(                          )

 その為に、今から出来る事。(                                )

――書いたら、続ける。考える。

 学校行かなくちゃ勉強(トレーニング)出来ないなんてことは無いです。

 学ぶのに、遅すぎるなんていう事も、家庭があるから出来ないって事も(言えた立場では無いですが)、ドコに誰といても、工夫と考え方で何らかのトレーニング(心身ね)や勉強は出来ます。。

 「死に物狂いでやらなきゃいけない」って事も無いです。 1日に30分の読書でも、週に一度のセミナー(講義)でも、ちょっとの行動の継続の方が身になります。

“継続はどんな特訓にも勝る”と。

(・・・どうしても叶えたい夢〔目標〕の為の時間的余裕がそれほどなければそういう事もありますが、今回はあくまで、個人の向上についてですので。。)

それと、トレーニング(勉強)法は、我流は×です。先人達の残した数々のアイデアは凄い財産です。一個人が生涯掛けてもそこには遠く及ばないでしょう。

明日もまた朝を迎えるつもりなら、今日の内に自分の可能性を探す。それが今出来る事です。。   。。ハハッ(><)

 色々な本からいいトコ取りで、自分なりの解釈です。 引用じゃないですよ~。

    参考文献ー多数(興味のある方はコメント下さい) 一部よそで書いたコメントと重複しています。(^^)/~

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2006年12月11日 (月)

迷い道。。

 前に分岐点という記事で書いたことがありますが、生きていく中で様々な選択を強いられる時がありますね。

オイラはあまり迷ったことがありません。というと嘘になるかもしれませんが、後悔しないようにつとめています。反省はしますけど。それは後悔でなく経験として消化するものだと思います。

その時その時の決断を今になってひっくり返す事は出来ないからです。

過去を憂いたり、未来を不安に思ったり・・・・・・果たして自分の力でどうにかなるのでしょうか?

自分に出来ることはただ一つ。今、この時をどう生きるかだけです。

メンタル的に強い人、例えばヤンキースの松井選手はこう言います。

「観客のヤジなんかは自分ではコントロールできない。でも、それをどう自分が受け止めるかは自分でコントロール出来る事だ。」

いつも思うことは、

『過ぎてしまった事はどうしようもない。未来を憂いてもわからない。俺がコントロールできるのは今!今まさにこの時しかないんだという事。』

です。常日頃の選択の中に未来があって、過去は未熟な自分を反省する材料だと思います。

確かにムチャな事して、楽しかった思い出もありますが、いっぱい人を傷つけたりもしてきました。

昔からの仲間に、

「あの頃に戻りたくない?」

とよく言われますが、オイラ昔の自分が嫌いです。いまの自分は、いろんな事学んであるものだから、あまりに子供だった自分を恥ずかしく思ったりします。

人は日々成長するものだから・・・・。

もう一つ。いつも悩む人には明確な夢が必要だと思う。

”幸せな家庭を築く”っていうのは相手のある事で難しいかもしれませんが、”良いお父さんになる”或いは”素敵な奥さんになる”なんていうのは自分で自分を磨くことがいくらでも出来るし、もっと別の目標でもなんでもいいと思う。

そこから今の自分がどれほどブレているか計れれば、軌道はいつからでも、何歳でも修正できます。

いつでも、自分がどうにかできるのは昨日でも明日でもなく、今、自分で出来ることしか無いのだから。。

                 がんばってこー!!(^^)v

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2006年11月 5日 (日)

『いつかそのうちという日は無い』。。

欧米のどこかの国のことわざだそうです。  (# `Д´)つ<オーベーカッ!!

前の『この道を~』の記事と少し内容がかぶりますが、

よく何かを始めるのにキッカケを探している人がいますが、実際問題そんなモノは無いと思います。

「彼女ができたら・・・」 「結婚したら・・・」 「来年からは・・・」

 「もう少しあそんでから・・・」  「・・・・・・」

オイラも友人に聞かれたことがあります。

「何がキッカケで建築士の勉強始めたの?」

キッカケ?さー?なんだったっけ?やってみようと思ったら、近所に学校があることを知って、次の日には入学の手続きしてたからなー・・・

”思い立ったが吉日”ですかね?自分を先に進めるのは自分だけだと思うんです。

中には奥さんや彼女の勧めで始める人もいるのかもしれません。ツアコンの資格持っている友人S君と話したんですが、彼の場合一度落ちてやる気無くしてたときの奥さんの

「向いてないんじゃない?やめたら?」

の一言で燃えたそうです。前出の友人がこの話を聞いたらきっと

「そっかー俺も結婚したら頑張れると思う。」

と言うでしょう。もし彼が結婚して何らかの成功を目指すキッカケになるならそれは良い事だと思いますが、それなら1日も早く結婚できるように努力するべきだと思います。

まずそれが成長するチャンスだからです。

難しいことなんだけど、友達の助言には素直に耳を傾けられない部分ってありませんか?仲のよい友人でも、どこか対抗心のような物が邪魔して・・・

”プライド”とも言えるかもしれません。前の記事『分岐点』で、人生を幾つも枝分れする道に例えましたが、今回は”流砂”の様なイメージと思ってください。

人の心は低い方へ流れやすい。何人かの人がこのゆっくり低い方へ流れる流砂の上に立っているとして、大抵の人は今立っている場所を維持する事で満足します。

上に登るのはもっとエネルギーがいるし、周りを見るとほとんどの人が同じ位置にいて安心だからです。その場所が安全でよい場所なのかを自分で確かめようともしません。

だから、それに反して一生懸命上へ登ろうとしている人がいると、目だって滑稽に見えたりします。(途中で転んだら、もっと下へ落ちて行くんじゃないか?)と思っているかもしれません。

そして、自分のその姿を人に見られる事をプライドが許さないんです。

プライドを捨てるのは勇気も要りますが、成長するには邪魔な物でしかないと思う。そしてそれによっていろんな夢を実現せせてこそホントのプライドが持てると思うんです。

もう一つ、”お金”を手にすること自体が夢だと考えている人も同じです。本当に大事なのはその金で何をするのかであって、お金はその為の材料や手段でしかないはず。

そういう人には、必死に流砂を這い上がる人が『金の為にあんなに必死になってみっともない』としか思えないから余計に上に行く気がなくなるんじゃないかと思います。

でも、必死に這い上がっている人の目標は『家族をより幸せにすること』だったり『世の中をもっと良くすること』だったり『人に夢を与える』だったりするかもしれません。その事で必死に頑張っている人を笑うことの方が恥ずかしい事だと思いませんか?

大切なのは”人に誇れるような夢””今から創められることがあること”だと思うんです。

なんだか偉そうですいません。ブログに書くことで、自分も戒めていきたいと思うもので。。

                失礼しましたm(_~_)m            

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2006年11月 3日 (金)

この道を行けば。。

~危ぶむなかれ、危ぶめば道は無し~

アントニオ猪木さんの有名な(?)詩ですが、これ結構奥深いですよね。

 オイラが建築士の資格を取ろうと思ったキッカケはたいした事じゃないんです。

建築の仕事といっても、オイラは内装屋だったので、特にその資格が必要ではないんですが、前にも書いたように仕事に満足できていなかったんです。

建築に関わったことのない方はわかりにくいと思うんですが、オイラがやっていたのは大工さんが木材で柱や壁や天井を作っていくのに対して、LGSと呼ばれている軽量鉄骨で壁やら天井を作るんです。大工さんの鉄版ですね。。

なので、仕事はとても楽しいですよ、モノ作りですから^^

その代わり人との関わりは少ないです。

『この狭い世界で現状維持で生きていくのかな』

なんて、自問自答している頃に、建築系の学校が家の近所にある事を知りました。

『資格でも取ってみようかな?』

とくにそれでどうしようと言うつもりもなく学校に行くことにしました。

現場で監督と対等に話せるだろうし、なによりその頃の毎日から抜け出したくてもがいていた様におもいます。

今思えば、学校が近所にあったのも”縁”の様に思えます。

働きながらの勉強は、結構大変だった反面、何かに挑戦するのは大変刺激があって楽しかったです。

こういった学校に来るのは、若い人が多いと思っていたんですが、意外とまじめにやっているのはオイラと同年代位の人が多いんです。

学校で知り合った人達とは今でも時々連絡したり、みんなで食事したりしています。将来的には仕事でお互い関わりを持てるといいなと思ったりしています。

今年は宅建を受けましたが、合否は微妙・・・・・

それで、確実に受かるつもりでいたオイラは初めから不動産系に転職するつもりで、仕事も残務整理していたんですが、微妙なだけに

『不合格でも面接に行こうか?』

と迷っていました。。

そこに今世話になっている建築士さんから声がかかったんです。

 今思うと、建築の事を解っているつもりが、まだまだ勉強する事が沢山あるんです。

仮に不動産会社で営業の仕事に付いても自分が知らないモノを人に勧められる訳無いとオイラは思うんです。

もし、宅建が確実に合格ラインだったら、この話は断っていたと思います。こういう所に”縁”を感じるんです。

 で、~建築の仕事をした~学校が近い~いろんな人と会う~資格を取った~転職を考える~宅建受験~微妙な結果~今回の転職~

という流れが、なんだか自然なものに感じられるんです。

『思い切って草むらに入ったら、なんとなく歩き易い獣道(例え変か?)があって、そこを歩いたら現在の場所に着いて、その先に前よりもはっきりした道が見えた。』

みたいな感覚です。この道を行けばどうなるものか・・・大事なことは、まず行動することの様に思います。

脱線しますが、世代的には若いんだけど、”メガリュー”というミクスチャーバンドの”Day by day”という曲もこういう事を謳っています。最近気に入っている曲です^^

まずやる気になったら考えるより行動する。自分で事業をやっている友達のM君が

「まずは重い腰を上げる事だよ。」

と言ってました。ホントそう思います。いい言葉ですね。

 試験も終わり落ち着いてきたので、最近は”CAD”という製図ソフトの勉強中です。

                ~迷わず行けよ、行けばわかるさ。。

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2006年6月22日 (木)

Wさんと仕事の姿勢。

20代半ばの頃、某大手運送会社に居たことがあります。下請けですが。

そこで出会ったWさんとHさん(ウエストとヒップじゃありません、念の為!(* ̄・ ̄)ノ)という人はオイラの仕事に対する考えかたを大幅に変えてくれました。

2回に分けてお2人の事を書きたいと思います。

当時さる理由で収入を増やしたかったおいらは、給料が高いことで有名な○○急便や、引越し業者等の面接を受けて、通勤等の条件から、結局その会社に勤める事にしました。

そういった会社の場合、基本的には『セールスドライバー』を謳っています。荷物の集配だけでなく、自分で営業して荷物を取って来いというやり方です。

入社したての頃はがむしゃらに荷物を運んでいれば給料は上がるもんだと思ってました。

しかし、現実はあまくないっす。すべて配達荷物の量しだいなんで、いい月もあれば、悪い月もあって、給料は安定しません。。

「やはり“飛脚”に行こうかな?」

などと考えていたんですが、同じ職場にいたWさんという人に

「荷物少ないなら増やすんだよ。」

と言われました。

「はぁ?」

そんなことどうやってできるんだろ?と当然思いますよ。

Wさんはその支店でもかなり上位の集配高を維持していましたが、入社当初はひどいものだったそうです。

ところが、毎日行く配達先で、たまたま荷物の集荷(逆に預かって送る事)を頼まれたら、その荷物がまた送り返されてきた事から始まったみたいです。

「なるほど、集荷の荷物を増やしていけば、配達も自然と増えてくるはずだ!」

と思ったそうです。それから毎日行く配達先で会話をするように心がけて、少しずつ集荷の荷物を増やしていったところ、配達の売り上げで1,2を争うほどになったそうです。。

これって普通に営業の仕事ですよね?集める荷物を増やせば、届ける荷物が増えるなんてフツー思いもしないし、これを思いついても中々実行できないですよ。。同じ条件でやっていた、他のドライバーはほとんど考えていなかったと思います。だって配達しか給料に反映しなければ、集荷なんて無駄な事だと思うでしょ。

どんな仕事でもそうですが、仕事を型にはめてしまうと、いろんな可能性を見落とすという凄い教訓です。経営者でもないのにこういった姿勢で仕事に臨むのは凄いですね。。

オイラはそれから、売り上げを少しずつ増やす事ができましたが、Wさんに会わなければ、こういった仕事に対する姿勢を考えることも無かったと思う。。感謝です。

Hさんという方は当時その会社の支店長だった人ですが、また別の機会に(゚ヮ^)ゝ。。

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2006年5月24日 (水)

過程と結果。

有名な巨大掲示板の管理人の人のブログ(http://blog.livedoor.jp/hirox1492/archives/cat_4776.html)にこんな事が載ってました。

何かを手に入れるための行動パターンというのは4つあります。

・努力をして、成果が得られる。
・努力をして、成果が得られない。
・何もしないで、成果が得られる。
・何もしないで、成果が得られない。

良いと思うものを順番に並べてみてください。

オイラは下記の順位です。

1:努力をして成果が得られる。

2:努力をして成果が得られない。:何もしないで成果が得られない

3:何もしないで成果が得られる。

成果っていうのは何らかのアクションの結果だと思うので、実際まったく何にもしないで成果が出ることはありえないはず。宝くじだって買わなければ当たらないし。なので3番は論外です。“最小限の努力で”って言うのなら分かるけど。。

努力をしても成果が出る前に諦めるなら、何もしていないのと同じだとオイラは思うので2位は同順です。『島耕作』シリーズの作者の弘兼憲史さんが3日坊主でも行動を起こすことが大事だと言ってました。それも一理ですね。人それぞれでしょう。

努力をして成果が得られるというのは、成果を出せる方法や過程を学べる事が、一番大きい成果だと思います。例えば3億円を稼げるビジネスを作り上げてきた人と、宝くじで3億円当てた人では、その後の人生は、まったく異なって来るはずです。だからオイラはこれが圧倒的に1位です。。

閑々諤々、意見は沢山あると思いますが、そのブログのコメントを見ていると世の中“棚からぼた餅”主義の方が多い様ですね、侘しいことです。それともオイラが熱苦しいだけか・・・ (・д・)??

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