カテゴリー「大切なこと。いきること。。」の20件の記事

2009年3月 1日 (日)

大切な友人へ。

 ~この記事は日付より大分前から作成していたものです。書きたいこと沢山ありすぎてかなり長いです。~

 この記事がUPされる3月1日。オイラは去年亡くなった友人のお別れ会に行っている事と思います。

私は芸能人関係者(そもそも関係者って・・・)ではないので、一般のファンの方と一緒に並ぶ事になるとは思いますが、それでも参加したい思いでおります。

記事にするのか、自分の胸に留めるのか、迷いました。

私は彼女が有名になっても周りの人間には数名を除いて友人である事をあまり話しませんでした。

有名人によくある「いきなり友達が増えた」の部類と思われたくなかったし、信じてもらえるかも怪しいところでしたから。

そしてなによりこうなってしまった今、私にとって大切な、とても大切な思い出なので。

けど、ブログを見ていただいている人の数もそれほど多くなく、良心的な方ばかりだという事、また、今となっては彼女の事を少しでも知ってもらいたいので、記憶の範疇で書かせていただきます。

もし想定外の事があった場合は削除させていただく事をご容赦下さい。

ここに嘘偽りは一つもありません。

 ―――彼女と出逢ったキッカケは、遡ること1989年。今から20年前です。

私は日本で一番有名だったディスコ(古臭いですが)“M”の系列店で当時日本で一番の集客をしていた青山にある“K”という店のウエイターとして働いていました。

 元々川崎で暴走族を辞めたばかりで、色々地元にうんざりしていた私は、華やかな世界に憧れていて(バブリーな頃でしたし)友人のお兄さんの影響もあり、当時で言う「黒服」になろうと応募します。

しかし、青山という場所柄に、ただのヤンキーだった私はかなり気後れしていました。

パっと見はチャラチャラした仕事ですが、ガテン系の仕事ばかりしてきた私でも上位に入る程ハードな仕事でした。

アルバイトには、イケている大学生も多く、暴走族あがりには似つかわしくない仕事です。

店に来るお客さんも洗練されていて、私は場違い感で一杯でした。

下仕事期間を3ヵ月ほど経て、ようやくホールの仕事をさせてもらったのですが、ハッキリ言って当時19歳だったオイラはそんなお客さんと何を話していいかわからず、よく上司にうなりとばされていました。

そんな頃、はじめて楽しく話せるようになったのが、すでに常連だった彼女です。

当時の彼女は六本木のクラブで働いていて、名乗っていた名前は、苗字は本名で、名前は芸名と同じでした。(ちなみにその時奴は17歳だったのですが、私と同じ歳だと言っていました。子供に見られたくなかったのと、飲食店という場所に配慮してです。後に嘘を付いていたと自分でカミングアウトしましたが。)

常連客は大抵、店のマネージャーなどとも仲がよく、本来新米ウエイターは気軽に話す事も難しかったのですが、彼女はとても気さくで、特に私は同じヤンキーの匂いを感じていましたので、すぐに友達感覚で話す事ができました。

 彼女のおかげで接客に自信を持てる様になったのを覚えています。

 妙に気があったのか、歳が一番近かったから、そのうちすっかり友達になって、店以外でも、彼女を含め私が一番仲がよかった店の先輩(彼は著書にも登場しています)や彼女の友達など数名でよく遊んでいました。

 やがて、私は彼女がよく遊んでいた友達の女の子と親密になり、彼女は2人をよくサポートしてくれました。

店にも大分慣れた頃、営業が終わった後に店のスタッフとお客さんが系列店で私の誕生日会を開いてくれたのですが、

「いけちゃん、〇〇ホテル取っておいたから飲み会終わったら〇〇と2人で行きなよ。」

と、2人の為に当時渋谷で最高級といわれたホテルの部屋をプレゼント(因みに一泊推定7~8万円)してくれたりして、本当に損得抜きで友人思いでした。

だからこそ、その反面、自分勝手な周囲に傷ついてもいたとも思います。

 

―――このブログの一番最初に書いていますが、2年程この店で働き、すっかり中堅になった頃、アホなオイラはドラッグに手をだします。(彼女の名誉の為に言いますが、彼女とはまったく無関係です。)

 やがて警察から逮捕状が出て、親にあわせる顔も無く、家にも帰れなくなり、店や同僚の家を泊まり歩いていました。

しかし、そんな事をしていても逮捕状が取り消されるわけでもないので何も解決はしません。

店にも迷惑をかけると思い、辞める事を告げ、やがて泊まるあてもなくなりかけて自暴自棄になっていた時に、店を辞めた事を知った彼女から電話がありました。

「事情はよくわかんないけど、行くところ無いならうちにおいでよ。」

だって。

まがりなりにも男と女ですし、言えますかそんなこと?

これ以上彼女や周りの人に迷惑はかけられないと最終的に自首するのですが、その直前の3日程、池尻にあった彼女のマンションに居させてもらいました。

その間誓ってやましい事(男女の)はありませんでしたが、私も元々居場所もわからずグレていたので話しやすかったのか、お互い沢山話をしました。

親が嫌になって(中学生の頃の話です)家の金庫のお金を持って家出した事、その後あったいろいろな事・・・

彼女の著書に書いてある多くの部分は直接彼女の口から聞いていたことがあります。(それでも結構本には綺麗に書いていますが^^;)

拘置所から出てきた時、家の留守電に彼女からメッセージが入っていました。

「いけちゃん、ごめんね。何もできなくて・・・」

その時に言えなかった言葉。今思えば心残りです。

「いやいや、俺は充分助けてもらったよ。」

 

―――3~4年前、一番最後に会った時も、とっくに人気タレントの彼女は気さくに

「いけだー!、久しぶりー!!」

と、当時の奴のままでした。ただ忙しすぎて疲れているようでもありましたが。

「(ベストセラーになった本に)俺のことも書いてくれよー。」

「いやいや、(私が逮捕された事等)おおっぴらに書けないでしょ。」

なんて会話をしたのを覚えています。

 

―――本当は、まだまだここに書ききれない程沢山の思い出があります。絶対忘れません。

生まれ変わりなど信じない私ですが、きっとどこかでまた・・・

ホントにホントに、本当に

「ありがとう。」

                     2009年3月1日     池田 賢

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2009年2月 6日 (金)

命なき人の声。

一つ前の記事に匿名性に隠れてネットで人を中傷する輩についてふれましたが、ちょうど芸人さんのブログに悪質な書き込みをした連中が摘発されましたね

日頃のストレスのはけ口なのか、書かれた方は堪らなかったと思います。

こういった検挙はどんどんしてほしいものです。

記事をUPした後にニュースをみて、

「タイミング合ったなー」

などと思ってしまいましたが、こじつけるともう一つ。

フジテレビの月9ドラマで、

「ヴォイス~命なき者の声~」

を放送していますね。臨床医(学)の話です。

同じく一つ前の記事に書きました友人(芸名は私には今ひとつピンときません。またその件の検索ワードにかかりたく無いので“友人”と書かせて下さい)の死因がハッキリしたのもこういった職業の方がいてこそなんだと思ってしまいました。

TVで中山秀さんが、彼女は、

「あれ?私死んじゃったの?違うの、ホントそういうんじゃないんだって!と言ってると思う。」

と、コメントしていましたが、まさしくその声を拾ってくださったのは臨床医と呼ばれる人達のおかげなんですね。

たまたま現実とこのドラマが被ったもので、本当に大切な職業なんだと実感しました。

―――今までも何度か体験してきましたが、人の死にふれるというのは大切な経験ですね。

色々と考える事が多くなりますし、そしてまたそれが生きている人間が“せめて”出切る事なのだとも思います。

考え、ほんの少しでも自分の出来る事、ちょっとでも行動する事。肝に銘じなくては。。

            それでわまた^^  三run

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2009年2月 1日 (日)

最高の人生の見つけ方。

先日つまらない言い合いで友人と喧嘩してしまいましたが、

翌日にはお互い非を認めて仲直りしました。

記事にまで書いてしまいました。削除しようかと思いましたが、いつか懐かしく読み返すこともあるかと、とりあえずそのままにしておきます。

感情的になると、時に人は心にも無い事を口にしてしまいます。

仲がいいほど傷つくけど、逆に仲がいいほど許せるのかもしれませんね。

モーガン・フリーマンとジャック・ニコルソンの2人が出ている映画、

「最高の人生の見つけ方」 

をみました。まったく違う生き方をしてきた2人が、お互い余命を告げられたところから旅にでるのですが、3~5ヶ月のあいだの話です。

しかし、その短い期間でまるで長年の友達の様に確かな友情を築きます。

「人生の宝モノを持っていますか?」

と、問いかけるような素晴らしい映画でした。

この問いかけに悩んでしまったり、或いは考えた事もない人も多いと思いますが、

私は迷わず

「YES」

と答えられます。皆さんはどうですか?

どちらにしても超お奨め映画です

           それでわまた^^  三run

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2009年1月17日 (土)

人は。

失敗や挫折、或いは孤独を恐れます。

1回、2回はいいかもしれません。

何度でも、何度でもそれをあきらめないのは、もはや(良い悪いはともかく)強烈な意志です。

貫き通すには、孤独になる覚悟がいります。

でも、人はそれほど強くない。

だから難しいのです。

孤独でも意志を貫く覚悟。オイラにあるだろうか・・・?

            それでわまた^^  三run

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2009年1月12日 (月)

エソラ。

ミスチルの話ばかりで申し訳ないのですが、この曲のタイトルの意味は

「絵空事」

だそうです。

以前、私にとっての絵空事とは、“戦争”や“つらい病を背負う人々”や“飢餓に苦しむ人々”等でした。

同じ空の下、現実の話なのに、どこかTVの向こう側の「絵空事」の様に受取っていたのです。

幼稚な私でしたが、これまで、素晴らしい人と出会ったり、或いは大切な人の死にふれたり・・・

いつしか、健康で、沢山の友人に囲まれている自分はなんと恵まれているんだろうと思うようになりました。

今はとても幸せな気持ちと、感謝の気持ちで一杯です。

そして、「絵空事」でなく、この恩と幸せを沢山返していかなければいけないと強く思います。

それがまた、私に希望を抱かせてくれるのです。

ただ生きている、それが素晴らしい事だと、中々気がつけない事かもしれません。けど、そういう人が少しでも増えていけば、世界はもっと良くなると思うのだけれど。。

            それでわまた^^  三run

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2009年1月 4日 (日)

愛情の反対。

年初めに、「日本人の認識力。」という記事で募金や寄付の問題に触れましたが、補足します。

個人として、それらの事を行うのは、素晴らしいことだと思います。

言いたかったのは、ただ募金や寄付をするのでなく、もう少しそういった事について向き合う事も大事だという事です。

ナイチンゲールの言葉で、

「愛情の反対は無関心」

というものがあります。

大抵の人は、

「え?愛情の反対は憎しみ(憎悪)でしょ?」

というのではないかと思います。

 先日渋谷のスクランブル交差点を渡っていた時、前を歩いている子供が転びました。

あれだけ多くの人がいながら、手を差し伸べる事も無く、まるで障害物でも避けるように歩いていってしまいます。

 日々生きるのに精一杯でも、転んだ子供に手を差し伸べる事くらいできるでしょうに。

それだけを判断基準にするのもどうかと思いますが、くだらないTVのワイドショー、マスコミ、国会、匿名で書き込まれるネット上の誹謗中傷

この国はどこか狂っているように思うのです。

 「愛情の反対は無関心」

私にはとても感銘をうける言葉でした。

               それでわまた^^  三run

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2008年12月26日 (金)

いちゃん。、一番大事なこと言い忘れた。

「ありがとう。」

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2008年12月25日 (木)

こんなこと突然

書くと、ビックリすると思う。

けど、今日の夕方悲しい知らせがあってずっと泣いてました。

散々やっているので、ニュースで見ていると思いますが、古い友人が亡くなったそうです。

今から20年程前、その世界に行く前からの友人で、よく遊んでいたし、イロイロ助けてもらった事もあります。

そんなときもこちらがお願いする前に向こうから言ってくるんです。本当に友人おもいでした。

私の知る彼女はいつも元気で、弱音を吐かず、人一倍情が深く、そしてアホでした。

出世頭でもあり、いつも尊敬していたし、ずっと昔・・・好きだった時もあります(振られましたが)。

引退してからは知りませんが、多忙な奴だったので、3~4年ほど前に逢ったきりです。

周りから聞いた話では(共通の友人は今年10月に逢っていて、その時は昔と変わらず元気だったようです)、最近の彼女は、世界の事、HIVの事、アホなりに考えていて・・・

私は彼女のような影響力なんてありませんが、本気でこの先の人生をそういった問題のために自分ができる事をする為に、出来る限り使っていこう。

ゆくことを、「ここに誓います。」

だから心より冥福を。言葉が変かもしれないけれど、元気でね。。今日のこと、あなたの事、忘れません。

                             2008/12/24 池田 賢

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2008年12月24日 (水)

人生の意味。。

このブログをはじめてから約3年半ほど経ちますが、数えたらこの記事でちょうど100件目になります。

区切りに恐縮ですが、私のささやかな夢(この表現はあまり好きではないのですが、目標と書くとますます興味が無くなりそうなので)などの話をさせていただきます。つまらない話なので読み飛ばしていただいて構いません。

ここに書くことによって引っ込みが付かなくなってしまうのが狙いです^^;

私としては、人が生まれ、やがて死んでいく事にはたいした(というか何の)意味も無いと思っています

でも、それとは別に、人が「人生の意味」について考える事には大きな意味があると思っています

いつ頃からだったか――随分前からそんな事を考え、本を読んだり、人と話したりして、ぼんやり自分の中にあったもの。

「社長に成る」とか「金持ちになる」とか「ハワイに永住する」と言った類のものはどれも目標足りえません

私も若い頃(まだ若い?30手前くらいの話です^^)は「勝ち組になってやる」などと考えていました。

でも、なぜかそれは釈然としませんでした。上に書いたような事柄を目標にしてもまったくモチベーションが上がらないのです。

今年会社をつくり、小さい会社は不況の中なんとか踏ん張っておりますが、会社を立ち上げる時に「会社の存在意義」について考えました。(真面目ーTT)

考えたのは「会社は人を雇うところ」です。

人を雇い、給料を支払う事によって社会に貢献するべき組織です。(もちろんその為に利益を上げていかなければならず、こんなご時勢では理想論ですね)

この不況下なんとかやり繰りしていけるのも、自分以外に従業員がいる(一人ですが^^)おかげです。

彼が居なければ閉鎖することも考えていたと思います。こんな私を頼ってくれる人間がいるという事が時に私の背中を押してくれます

こんな事が夢とか目標になるのではないでしょうか?

私と弊社の目的、目標は「社会に貢献すること」です。

建築の技術、知識をもって何かできないか?と近頃は考えています。

具体的には災害用の非難住宅などの建築、戦災復興国の学校や病院の建築などがあると思います。

私個人や弱小企業では実現にほど遠いですが、とりあえず来年から可能な限りそれらのボランティア(カンボジアに学校を作っている団体)に参加するつもりでおります。

しかし、その前に会社もつかなー><

                     それでまた^^  三run

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2008年5月13日 (火)

母親。

 母の日も終わりましたが、うちのTB(天然ボケ)な母について、少し書いてみます。

 今更ですが、私はしょうもない人間です。そんな私が子供の頃の話。

 出来が悪く、悪ガキの素質でもあるのか、好奇心旺盛で、人懐っこい性格だった(と言われる)私は、小学校に上がるか否かの頃には万引きで捕まったりしてます。

「ただ、それが欲しかった」それがその時の気持ちだったと思います。悪い事なのは子供心に理解していましたが、万引きのスリルそのものに魅力を感じていたのかもしれません。

小学校にあがっても、兄に比べ、何かと問題の多かったこいつは、兄の友達や、友達の兄等、年上と遊ぶ事を好みました。自分の知らない事を、色々教えてくれて、楽しかったからです。いい事も悪い事も、いっぱい教えてもらいました。

 小学校5、6年の頃だったと思います。アホガキは、遊ぶお金が欲しくて、塾に持っていく月謝を着服する事を思い付きます。正確には“バレ無ければ貰っちゃおう”という感じですが・・・

(月謝を塾に渡さずに、しまっておいて、一月位何も言われなければ、使おう。)

と考えたのです。(ずるがしこい様で絶対バレるので、実際アホですが・・)当然塾から連絡が入り、両親は私の所に来ました。両親が二人とも帰宅するのは大体深夜だったので、当人はもう寝ていましたが、物音に目が覚め、事態を察して、狸寝入りをします。(サイテーです)

(どうしよう)

アサハカなこのガキは、こうなった時の事など考えていません。言い訳するか?素直に謝るか?ドキドキしている本人をよそに、母親が、机の周りを探しているようです。すると、

父「もう、あるわけないだろ。」

母「何でよ?」

父「使ったんだろ。」

何かと問題児のやる事。当然の意見です。しかし、

母「渡し忘れているのよ、きっと。」

父「だって、何日前だよ。もう無いだろ。」

またも父親、当然の予想です。

父「聞いてみろ、簡単だから。」

(!)

アホガキの心臓は物凄い速さで脈打ちます。

(あー、札付き不良少年確定)

と思ったかどうか・・・。と、

母「そんな事無い!」

母「あなたみたいに決め付けて聞いて、間違いだったら、この子どうするの!」

父親がどんなリアクションだったか覚えていませんが、母は相変わらず机やかばんを調べていました。

 結局、たいした隠し場所も思いつかない子供ですから、机か、かばんの中の参考書の間から月謝袋が見つかり、この夫婦ゲンカは“ほら見たことか”と母親の勝ちでしたが、父は、“見つからなければ使うつもりだったんだろ”と、私の心理まで看破していました。

 ――もう、30年ほど前の話ですが、今でも何故か覚えています。父親は本当に真実を突いていました。馬鹿な母は子供に呆れられたでしょうか?

 その後もこのワルガキは数々の問題を起こしますが、警察の聴取、施設の面会、時には裁判の証人席、母は一貫して

「この子は悪い子ではない。」

を言い(通し)続けました。ホントに馬鹿なのか天然なのか、“親不孝なガキ”は根負けしたのだと思います。

ヨイトマケの唄でも書いたのですが、悪ガキが、(自分が悪いのだけれど)もし、母親にもハナから疑われていたら、恐らく違う生き方をしていたでしょう。

 確かに、真実は大切だと思います。でも、必ずしも人を救うでしょうか?

 ただ『信じる』という事の意味。母に教わった事。とても大切なモノだと思うのです。

 母の日でも、面と向かって言うのは恥ずかしすぎるので、この場をお借りして。

               母さんありがとう。  Σ三(σ>о<)σ<ヒャー!

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2008年5月 1日 (木)

価値感が変わる時

 一般的に、社会人がどれくらいの頻度で、本を読んでいるかわかりませんが、

少なくとも、一般平均よりは、多くの書籍を読んでいると思います。

それらの読んだ本で、価値観が変わってきたのも確かです。

 しかしながら、私にとって本当に人生の価値感が変わった瞬間は、遠く、18歳の頃でした。

 暴走族自体を美化する訳ではありませんが、80年代はまだ暴走族が沢山いて、集会では大体”市”の単位で集まって走っていたので、人数は多かったし、普通では知り合う事もない、離れた中学の人間とも友達になったりと、学歴が無いわりに、多くの人と出会うことができました。

 自分の理想とする(?)不良には程遠い、ドロドロの人間関係や、口だけ達者な人間達にうんざりしていた少年は、ある市内の別グループの同い年のJ君と知り合います。

多少背は大きいものの、自分と背格好もそれほど変わらないJ君はとても気合が入っていて(強気)、情に厚く、友情に飢えていた少年は、すぐに仲良くなりました。

 もうそろろ引退かなという17の春、暴走族の事件で、鑑別所に入りました。その時半同棲気味だった彼女は集会で知り合った、同じ系統の別グループの女の子でした。

 純粋な不良少年は出所するまで、当然待ってくれているモノだと信じていましたが、3ヶ月後に出てきた時の彼女は、どこかよそよそしくなっていました。

(ちなみに18の誕生日は鑑別所で迎えましたcoldsweats01

 ある日、懲りない少年は、J君と2ケツ(2人乗り)で集会に出かけました。

暫くすると前の方のバイクに見覚えのある後姿を見つけます。何十台もの集団なので、人一人見つけるのも難しいのですが、着ていた服は昼間一緒にいるとき見た、それと同じだったからです。

――そう、彼女がバイクの後ろに乗っていたのです。運転しているのは、隣町の1つ上の先輩です。

上下関係に厳しい世界ですから、どうしたものか考えました。

  1. 何か事情があるのかもしれないので放っておく
  2. とりあえず自分の存在に気がつくように近くに行く
  3. 堂々と文句を言って、出たトコ勝負

3は、地元の先輩との絡みもあり、賢い選択ではありません。後々どんな事になるか・・・

情けない話、一不良のはずの少年は“ビビリ”ながら“2.5”の気持ちで近づいていきました。

すると、後ろに乗っていたJ君も彼女に気付きました。

「いけまん!あの単車!!」「横につけ!」

近付くだけのつもりでしたが、彼の言葉に思わず真横に付くと、J君、

「おい!単車止めろ!!」

まがりなりにも、暴走族、不良はなめられてはいけません。1つ下の人間に、こんな口をきかれた先輩は、当然、

「何ぃ!?この野郎!」

と激怒し、単車を止めます。

こうなると、後にはひけません。

(後はどうなれ、正当な理由もある。)

と腹をくくった時には、J君が後ろから飛び降りていました。

勢いよく相手をなぎ倒したJ君は、何故か相手より遥かに怒っていました。

数秒ですが、怒るべき当人が単車を降り、殴りかかった時には、相手の戦闘意欲は、ほぼ消えていました。

 少年は、しばらく戸惑いました。それまで、友人とはいえ“他人の事”で、考える前に手が出るほど熱くなれる人間に会った事が無かったからです。

 傍らで彼女が何かを叫んでいましたが、殆んど覚えていません。そんな事はどうでもよくなっていたからです。

 ドラマかマンガか小説か、自分が理想とする事を、地で行う人間。(他にも彼のエピソードはありますが、この出来事が、彼の人となりを知る機会だったconfident

「友情なんてうわべだけだろ。」

などと、当時クサりかけていた不良少年が、どれほどのモノをもらったか・・・

 先日、久々に彼に会う機会がありましたが、当時の雰囲気はそのままに、一回りも二回りも成長した風格を感じました。

 棲む世界は違えど、今でも彼は、手本であり、もっとも尊敬する人間であり、また大切な友です。

     私にとってこの日の事、彼の生き方は、何千冊の本にも勝るものです。book

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2006年12月17日 (日)

生と死と。。

1年ほど前に、キンキキッズの”堂本光一君”がやっている、”ジェネジャン”って番組の総集編を観た時のはなしです。

その番組は、芸能人と一般人がいろんな議題で討論するんですが(有名か?)、そこにある一般人の男性が出ていました。

彼は医者に、癌で余命半年(曖昧なので1年かもしれません)位と宣告されたそうです。

その時の番組のテーマはたしか”自殺”か”死”だったと思います。

そこにはリストカットする女子高生や自殺願望のある若者が出ていました。

オイラ基本的には自殺には否定的です。現実から逃避するのは弱い人間の暴力だと思うからです。

昨年後輩が亡くなってから少し考えが変わりましたが、それでもホントは自殺はいけないことだと、責任ある報道の人はハッキリ言うべきだと思います。

TV等のニュースが「自殺した人がかわいそう」と全国的に自殺を後押ししている気がします。

”死ねば悲劇の主人公”みたいな感覚が認められちゃ駄目でしょ。

オイラもどうしようも無い孤独感や、生きることが虚しかったりって気持ちはわかります。

でも、歯ーくいしばって生きてきて良かったと今思えます。

もちろん、自殺してしまう人は本当に苦しかったんだと思いますが、マスコミの人はそれを認めてはいけないと思うんです。

少なくとも人の気持ちがわかる人は軽はずみに”自殺した人がかわいそう”なんて事を言えない筈です。

話を戻しますが、その番組に出ていた彼は皆に、

「死にたい人を否定もしないし、”生きたくても生きれない人間もいるんだ!”なんて事を言うつもりもないけど、俺は”死”を宣告されてからはじめて生きることを考えた。それからの毎日はまるで違うものだった。」

みたいな事を(正確には違うと思います。曖昧ですいません。)言ってました。不覚にも涙してしまいました。

オイラ余命を宣告されたわけではないケド、その気持ちがなんとなくわかります。

たいていの人は、『自分は“必ず”いつか死ぬ』ということを、どっか忘れて生きている様に思います。

 人それぞれ考え方もあると思うけど、オイラは”死”を迎えるときに、後悔が残るような生き方だけはしない様に生きようと思っています。。

ちなみにTVの彼は収録の何ヶ月か後に亡くなったそうです。彼と接点があった訳ではないですが、自分の人生に影響を与えてくれた一人です。

その番組に出ていた(或いは観ていた)人達に少しでも意識の変化があったなら、彼の人生は少なからず意義のあるものだったのではないでしょうか?

  心から冥福をお祈ります。名前を覚えてなくて大変申し訳ないです。。  

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2006年6月24日 (土)

座右の銘。

『迷ったら、自分が損をする方を選択しなさい。そうすれば人との関係はうまくいく。』

オイラの祖母が、生前よく口にしていた言葉です。

うちの祖母は戦争で若い頃におじいちゃんを亡くしています。。

子供は4人。終戦当初の事情を考えると、とてつもなく苦労した人だと思います。。寂しさもあったでしょう。。

その長男にあたる親戚のおじさんが、祖母の告別式で言ってました

「若い頃に親父を亡くし、女手一つで私達兄弟を育て、大変苦労した人でした・・・・。でもそのわりに、子供や孫にはとても優しく・・・・・・」

その後は泣いてしまって言葉になりませんでしたが、ホントに祖母は優しかったです。そんなこと何も知らなかった子供のオイラは、祖母に“ありがとう”の一言も言えずじまいでした。

冒頭の言葉はオイラの指針です。いつも肝に命じて生きようと思っています。

損をとるのは難しい事ですが、人間ホントに得るべきものは、“得”ではなく“徳”だという教えでしょう。。お婆ちゃんありがとね。。

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2006年5月 1日 (月)

一期一会。

人生30年以上も生きていると、いろんな人に出会うものです。。

この世に生まれて初めて出会うのは“親”ですね。これがもっとも重要な出会いかも知れません。天然だけどいつも優しいオフクロ。心からありがとう。。

小、中学校くらいから今でも遊んでる友達、言うまでもなく感謝です。地元じゃなくても近所の中学の付き合いの長いヤンキー友達。10代の多感な頃いろんな事を共有してきた人達は、気が置けないので、心の拠り所ですね。

小、中学の同級生も多いんだけど、へたくそなオイラをいつも起用してくれる野球チームの仲間達。たのしくていい奴ばっかりです。。

地元の後輩、上下関係を文字通り叩き込んでくれた先輩(;==)ノ☆);><)

オイラ上からも下からも随分鍛えられました^^これが無かったら男としてもっとヘタレだったかも。。

中学の学年主任をしていたS先生。この先生が居なかったらオイラは世の中なめくっさった、ただの糞ガキだったかもしれません。。今は教師を引退したみたいですが、一度あって酒でも酌み交わしたいものです。。

鑑別所入った俺の少年院送致裁判の為に裁判所まで来て、証人にまでなっていただいた工務店の社長さん。その時とても温厚で印象深かった家裁の裁判官の方。もう逢うこともないかもしれません。『一期一会』の大切さを考えさせられます。。

いくつかの職場で知り合った暖かい上司やいまでも親交のある後輩達、建築士の学校で知り合った仲間達、最近のバリュー株投資セミナーで親身になって、講義後もいろんなアドバイスをしてくださる講師の方達等々。。

オイラ大人になってから知り合った人はあまり深い付き合いになれないと思ってました。

でもそんなことも無い様に最近は思います。

人一人理解するのはとても難しい事だと思うけど、芯の部分が似たもの同士だとなんか共感できたりすることがあったりするし、大人な分“親しき仲にも礼儀あり”で爽やかにつきあえたりするし。。

ここで書ききれない程いろんな人とのめぐり合いは、とても大切なオイラの財産です。(byケツメイシ♪)

勉強させていただいた全ての人との出会いに感謝です。。みんなに恥じないようにしっかり生きなくては。。   m(_ _)m

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2006年4月26日 (水)

友達を持つということ。。

「ウサギって寂しいと死んじゃうんだよ。」

どっかのドラマで誰かが言っていたセリフです。。去年の3月に後輩が亡くなりました。。年が3つ離れてて、ガキの頃はあんまり付き合いが無かったんだけど、何年か前からそいつの友達とよく遊ぶようになって、その頃彼は塀の中だったんです。

なので出てきた時からちょくちょく遊んでたんですが、色々事情があって、彼、地元に居られなくなったんです。

それからは時々電話で話す位でほとんど会うことも無かったです。電話で必ず言うのは「暇ですよー、つまんないですよー。」でした。。俺と言えば「へー」とか「かわいそうに」なんて気楽に言ってただけです。。

彼が最後の方に親に漏らしていたのは「俺友達いないんだよねー。」だったそうです。俺人生はできるだけ後悔しないで生きようと思ってるんだけど、そん時はスゲー後悔した。もっと遊んでおけば良かったって・・・

”友達”というものをずっと自分本位で考えてました。そのとき初めて『友達でいるだけで救われる奴も居るんだ』と逆の立場から考えさせられた。。

亡くなった人に同情はしません。俺だってひょんなことから明日にでも死んじゃうかもしれないしどのみちいつかは確実に訪れるもんだから。ただその人達の死に意味をもたしてあげられるのは、生きている人間だと思う。

俺は可能な限り友達を増やしたい。そしてそいつらや地元のみんなを大切にしたいです。それで彼が救われるかはわからないけど。。彼も含め先輩、友達、後輩と何人か若くして亡くなっていった人が居ます。その人達の死にささやかでも意味をもたしたいと思うんです。。

  オチル話で申し訳ないです。。   <(._.)>敬具

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2006年4月14日 (金)

平和主義とヘタレと理想と現実と。

こんにちは、コメントが増えて嬉しいこの頃です。

自分で言うのもなんですが、わりと温厚な性格だと思うんですよオイラ。。世の中みんな笑顔で過ごせれば最高じゃないですか^^

けれどそれは理想です。現実にはそうは中々いきません。人間てのは良くも悪くも両面持っているわけです。マルクスさんやスターリンさんの唱えた『共産主義』はいわゆる『資本主義』と比べてもけして悪い考えではないモノです。

どちらかと言うと後者の方が“邪”かもしれません。しかしいわゆる共産圏の国々がうまく行かないのは人は必ずしも“正”の生き物じゃないからでしょう。。

自論ですが世の中すべて対極があるんだから大切なのはバランスじゃないですか?

なんかイデオロギーちっくな話になりましたが、オイラこの『理想』ってやつがどうも好きじゃないんですよ。。

誤解されそうですがここで言う『理想』はまぁ『キレイごと』と思って下さい。。

人間理想は大事だと思います。人はそれを目指すべきです。でもそれを盾に現実を見ないで発言する人が多い気がするんです。

キレイごとでは済まない事をキレイごとで終わらせようとする奴。理想ばかり唱えて自分ではなんの行動もしない奴。

TVなんてのはキレイごとが多いですね、しかたが無いのでしょうが・・・

オイラたいした人間じゃないので随分偉そうな気がしますが、あえて言わせて頂きたい  ヽ(`Д´)ノ

人としての尊厳や大切な人等、自分がどうしても譲れない部分を傷つけられたら、やはり怒るべきです。「汝右の頬を叩かれたら左の頬を叩き返せー!」(怒られそうだな・・・)

誰かが間違いを犯したら叱るべきです。それを「平和主義だから争い事は嫌いなんだよね」なんて言葉で片付けて済ませちゃいけませんよ。。

怒ったり叱ったりっていうのは責任と勇気のいる事です。『平和主義』てのはヘタレの逃げ口上じゃ無いはずです。。

喜怒哀楽は人間がバランスをとっていく為に必要なモノだと思います。

暴力を推奨したりする訳じゃないですよ(手を出さなくてもきつい言葉を相手にぶつけるだけでやはり暴力だと思うし)。。

衝突することを無理に避けては人間成長しないと思うんです。。

生意気な様ですが、最近少しこの『理想主義者』が多い気がして。。ひとり言なんで勘弁して下さい。。 (´д`;)

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2006年4月 8日 (土)

行動と言動 (`・ω・´)

オイラ何かと理屈っぽくなるので・・・・今回は手短に^^

誰かのことを思いやって心を痛めるのは良い人だと思います。

その為になんらかの行動を起こせるのは素晴らしい人です。

誰にも何も言わずにそれが出来たらそれはもう至高の人です。

何かの引用ではないですよ^^。。。若輩者のオイラには遥か及ばない境地です。。。

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2006年3月31日 (金)

分岐点。 a junction

”今は人生の分岐点だ”なんて思うことありますよね?一生のうちどれくらいあるんでしょうか。。

人生を道に例えるたとすると、どんな道を想像します?太く真直ぐ続く一本道でですか?

オイラのイメージは複雑に幾重にも分岐していく血管の様な物です。

と言うのはね、分岐点て毎日のようにありませんか?

ちょっとアホっぽいかもしれませんが、例えばフラッと立ち寄った本屋やCD屋さんで買うか買わないか迷いながら買った物で心が動かされるかもしれません。

或いは体力が落ちてきたから”ジムに行こうかな~などと思いながら”行動する、しないも割と日常的な選択です。

それが?と思うかもだけど、ある女性の人の目標が”料理のうまい素敵な奥さんになる”だったとして結婚してから毎日夕飯の献立に悩みます。

慣れも手伝ってやがて今日は惣菜や簡単な物にしようと思うことが多くなっていく、と実は毎日の選択の繰り返しが最初の目標から遠ざかって行く結果になります。

人の心は低い方に流れがちです。毎日新しい料理にチャレンジしていく人とそうでない人では1年も経たないうちに”料理のうまい奥さん”レベルが全然違ってきますよね。

体を鍛えるのも同様で、毎日かかさずトレーニングする人間と「明日からやろう」とダラダラ過ごす人では1年程でもっと明確に違いが見えるでしょう。。

漠然と夢のある人もその為に日々どうしてゆこうかと細かな目標まで決めてみると幾つもに分かれている道が見えてくるはずです。

突然なんでこんな事言い出すかというと、自分を戒めるためです。今年また頑張りたいから^^

偉そうに書き込んでるけど、さっきも言った様にオイラも毎日の選択のなかで安易な方の選択をしがちです><。

これが自分で自分に言い訳、自分に嘘をつく様になると始末が悪い。

そういう人周りにいませんか?理想からどんどん離れていくのに安易な方向に逃げる事、そしてその事を自分に言い訳してやがて自分に嘘をついてる事にすら鈍感になっている人。

俺もそうだった時期があってこうして書き込んでおかないと危うい気がして。。

人の心は低い方に流れ易い。前出の”自分の感受性くらい”は出来る限り毎日読み返したいです。人生の分岐路は意外と毎日の中にある様な気がするから。。

なのでタイトルは  ”turning point” でなく ” junction”にしてみた^^

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2006年3月25日 (土)

倚りかからず

このブログをはじめる少し前、詩人の茨木のり子さんという方が亡くなられました。

オイラぐらいの年代(或いはそれより下)で知ってる人少ないと思うんだけど、俺にとっては少なからず影響を受けた人です。

”言霊”ってあるでしょ。いろんな人の言葉が、なんだか物凄く印象に残ることが。

人それぞれだとおもうんだけど、俺の場合、長島茂雄さんだったり、本田宗一郎さんだったり、或いは中学の頃の先生だったり、時には映画等の台詞だったりと、その時の自分の心境に何故だか響いた言葉があるんですが、茨木のり子さんはそれこそ詩人で、オイラが印象に残っているのは、「自分の感受性くらい」という詩です。

興味のある方は是非読んでみてください、何かと責任転換しがちな自分を戒めるとても感銘を受けた詩でした。

茨木さんは夫に先立たれた後、一人静かに暮らしていて、亡くなられたのが分かったのも親戚が連絡を取れなくて自宅に様子を見に行った時だったので、何日か経ってからだったと新聞に小さく載ってました。

片隅の記事でしたが、この詩が人の心の片隅にいつまでも残っていったらきっと茨木さんも嬉しいでしょう。

オイラなんかがブログを始めたのも何か言葉を残してみたくなったのかも。。若輩者が偉そうに失礼かと思いますが・・・

茨木のり子さん心からご冥福をお祈りいたします。

                    タイトルは茨木さんの詩から引用させていただきました。

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2006年3月10日 (金)

拝啓トモダチ達

オイラが人生で一番大切にしようと思っているものは、多分ずっとガキの頃から何も変わらず”友達”です。(もちろん親や家族も大切で、順番つけるのは失礼なんだろうけど。。)齢が多少上下して普段は先輩後輩の間柄でも自分のなかでは友達です。

オイラはプロフィールに書いてる様に元ヤンです。この歳になって言うのはとても恥ずかしいんだけど。。

子供の頃親とか兄弟なんてものはまったく信じていませんでした。。そしてそういう人が不良になり、どこかで人を信じたく、仲間とかトモダチというものを求めるんだと思っていました。

それだけにその当時とっても子供だったオイラは親兄弟よりも友達や仲間の裏切りがなによりも許せなかった・・・フツーの人にはわからない感覚だと思います。。

おまわり(警察官)に少し尋問されて仲間をチクる奴、自慢じゃないけど(ホントは少し自慢かも^^)ある事件で(集団暴走行為、傷害等だったかな)芋ズル式に他元(他の地元ね)がパクられて行く中、逮捕されたオイラはダンマリで22日間通したこともあります。

毎日留置所と取調室往復の生活は精神的にかなりきついし、おまわりからは「お前協力しないなら少年院確実だぞ」とか言われ(実際は鑑別所止まりだった)思わずウタッて(チクって)しまう奴の気持ちも今となればわからなくないけど、当時の俺には絶対してはならない事でした。。

オンナが絡んだら見境なく友達を出し抜く奴。まじめな顔して自分のために嘘つく奴。そんな連中が多々いました。。。

で、地元(そういう奴が、必ずしも地元の人間ばかりではないし、もちろんそんな連中ばかりじゃないけど)を見限った事があります。。

ガキの頃、俺がガキの頃、不良はほぼ暴走族でした^^そしてオイラはなんとなくみんなに持ち上げられて当時は地元の頭でした。

ホントは俺なんかより喧嘩すれば強い奴もいっぱい居たのに、皆めんどくさがるからね^^。

オイラは地元の威厳を保ちたかったけど、テキトーすぎる奴らの盾になってるのが嫌だった。。国民と政治家みたい。

何にもせずに文句はしっかり言われる。地元の友達がきっかけでケンカになって、なんの加勢もなく、何人かにボコられた時、ただツレの女の手前かっこつけたかったのか、ダサいトコ見られたくなかったのかわからんけど、見ていただけの友達のほうから「情けねーな、頭だろ」と言われた事もあります。

手を貸してくれとか助けてくれなんて言わないけど、そりゃーないよ。。俺がんばったもん。。><

実際うそみたいな話だけど、ホント^^。

自分が頑張っていることに何の意味があるのか・・・仲間の為に力になりたっかたり、地元が馬鹿にされないよう気張っても、自分一人の力はたかが知れてたり・・・「ホントの親友と呼べる人間が欲しい・・・・」。

 すげー煮詰まってた時があって、ぶっちゃけね、ドラッグとかに走りました><そーして地元ではない東京で仲間を求めたの。。

んで最後は悲惨でした。結局そいつらにチクられて見事にパクられた。

そんな時に笑って留置所に面会に来てくれたのは、東京で遊んでた奴らではなく、地元の友達でした。

別に何を言われるでもなく、ただ、ただ嬉しかったのを今でも覚えてます。。

んでさ、留置所ってすること無いから色々考えるんだ^^行き着いた答えは「そっかー、自分に何の見返りがなくても、自分が見返り考えずになんかしてあげられるのが友達なのかも。地元って暖かいな。」でした。

単純かもしれないけど、それからオイラのなかで友達の定義が変わったんだ。

友達という言葉、自分の中で生涯変わらない一番大切なもの。クサイと思われるかもしれないけど、多分これからもずっとです。。         敬具  

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