大切な友人へ。
~この記事は日付より大分前から作成していたものです。書きたいこと沢山ありすぎてかなり長いです。~
この記事がUPされる3月1日。オイラは去年亡くなった友人のお別れ会に行っている事と思います。
私は芸能人関係者(そもそも関係者って・・・)ではないので、一般のファンの方と一緒に並ぶ事になるとは思いますが、それでも参加したい思いでおります。
記事にするのか、自分の胸に留めるのか、迷いました。
私は彼女が有名になっても周りの人間には数名を除いて友人である事をあまり話しませんでした。
有名人によくある「いきなり友達が増えた」の部類と思われたくなかったし、信じてもらえるかも怪しいところでしたから。
そしてなによりこうなってしまった今、私にとって大切な、とても大切な思い出なので。
けど、ブログを見ていただいている人の数もそれほど多くなく、良心的な方ばかりだという事、また、今となっては彼女の事を少しでも知ってもらいたいので、記憶の範疇で書かせていただきます。
もし想定外の事があった場合は削除させていただく事をご容赦下さい。
ここに嘘偽りは一つもありません。
―――彼女と出逢ったキッカケは、遡ること1989年。今から20年前です。
私は日本で一番有名だったディスコ(古臭いですが)“M”の系列店で当時日本で一番の集客をしていた青山にある“K”という店のウエイターとして働いていました。
元々川崎で暴走族を辞めたばかりで、色々地元にうんざりしていた私は、華やかな世界に憧れていて(バブリーな頃でしたし)友人のお兄さんの影響もあり、当時で言う「黒服」になろうと応募します。
しかし、青山という場所柄に、ただのヤンキーだった私はかなり気後れしていました。
パっと見はチャラチャラした仕事ですが、ガテン系の仕事ばかりしてきた私でも上位に入る程ハードな仕事でした。
アルバイトには、イケている大学生も多く、暴走族あがりには似つかわしくない仕事です。
店に来るお客さんも洗練されていて、私は場違い感で一杯でした。
下仕事期間を3ヵ月ほど経て、ようやくホールの仕事をさせてもらったのですが、ハッキリ言って当時19歳だったオイラはそんなお客さんと何を話していいかわからず、よく上司にうなりとばされていました。
そんな頃、はじめて楽しく話せるようになったのが、すでに常連だった彼女です。
当時の彼女は六本木のクラブで働いていて、名乗っていた名前は、苗字は本名で、名前は芸名と同じでした。(ちなみにその時奴は17歳だったのですが、私と同じ歳だと言っていました。子供に見られたくなかったのと、飲食店という場所に配慮してです。後に嘘を付いていたと自分でカミングアウトしましたが。)
常連客は大抵、店のマネージャーなどとも仲がよく、本来新米ウエイターは気軽に話す事も難しかったのですが、彼女はとても気さくで、特に私は同じヤンキーの匂いを感じていましたので、すぐに友達感覚で話す事ができました。
彼女のおかげで接客に自信を持てる様になったのを覚えています。
妙に気があったのか、歳が一番近かったから、そのうちすっかり友達になって、店以外でも、彼女を含め私が一番仲がよかった店の先輩(彼は著書にも登場しています)や彼女の友達など数名でよく遊んでいました。
やがて、私は彼女がよく遊んでいた友達の女の子と親密になり、彼女は2人をよくサポートしてくれました。
店にも大分慣れた頃、営業が終わった後に店のスタッフとお客さんが系列店で私の誕生日会を開いてくれたのですが、
「いけちゃん、〇〇ホテル取っておいたから飲み会終わったら〇〇と2人で行きなよ。」
と、2人の為に当時渋谷で最高級といわれたホテルの部屋をプレゼント(因みに一泊推定7~8万円)してくれたりして、本当に損得抜きで友人思いでした。
だからこそ、その反面、自分勝手な周囲に傷ついてもいたとも思います。
―――このブログの一番最初に書いていますが、2年程この店で働き、すっかり中堅になった頃、アホなオイラはドラッグに手をだします。(彼女の名誉の為に言いますが、彼女とはまったく無関係です。)
やがて警察から逮捕状が出て、親にあわせる顔も無く、家にも帰れなくなり、店や同僚の家を泊まり歩いていました。
しかし、そんな事をしていても逮捕状が取り消されるわけでもないので何も解決はしません。
店にも迷惑をかけると思い、辞める事を告げ、やがて泊まるあてもなくなりかけて自暴自棄になっていた時に、店を辞めた事を知った彼女から電話がありました。
「事情はよくわかんないけど、行くところ無いならうちにおいでよ。」
だって。
まがりなりにも男と女ですし、言えますかそんなこと?
これ以上彼女や周りの人に迷惑はかけられないと最終的に自首するのですが、その直前の3日程、池尻にあった彼女のマンションに居させてもらいました。
その間誓ってやましい事(男女の)はありませんでしたが、私も元々居場所もわからずグレていたので話しやすかったのか、お互い沢山話をしました。
親が嫌になって(中学生の頃の話です)家の金庫のお金を持って家出した事、その後あったいろいろな事・・・
彼女の著書に書いてある多くの部分は直接彼女の口から聞いていたことがあります。(それでも結構本には綺麗に書いていますが^^;)
拘置所から出てきた時、家の留守電に彼女からメッセージが入っていました。
「いけちゃん、ごめんね。何もできなくて・・・」
その時に言えなかった言葉。今思えば心残りです。
「いやいや、俺は充分助けてもらったよ。」
―――3~4年前、一番最後に会った時も、とっくに人気タレントの彼女は気さくに
「いけだー!、久しぶりー!!」
と、当時の奴のままでした。ただ忙しすぎて疲れているようでもありましたが。
「(ベストセラーになった本に)俺のことも書いてくれよー。」
「いやいや、(私が逮捕された事等)おおっぴらに書けないでしょ。」
なんて会話をしたのを覚えています。
―――本当は、まだまだここに書ききれない程沢山の思い出があります。絶対忘れません。
生まれ変わりなど信じない私ですが、きっとどこかでまた・・・
ホントにホントに、本当に
「ありがとう。」
2009年3月1日 池田 賢

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